娘の復活は突然に…

休日の朝、静かな時間が流れていた。

英子はソファに腰を下ろし、湯気の立つコーヒーを一口含んだ。深く焙煎された香りが喉を通り、眠気をゆるやかに溶かしていく。窓の外では鳥の声がして、カーテンの隙間からやわらかな光が差し込んでいた。

ふとキッチンから物音がした。來未が寝ぼけたような顔で現れ、パンをトースターに入れる。髪は無造作に結ばれ、部屋着のまま。だが、目元にはどこか久しぶりの明るさがあった。

「おはよう」

「おはよ……ねえママ、聞いて」

声の調子が少し弾んでいるのに気づく。

彼女はバターを手にしながら、英子の方を見てにやりと笑った。

「私ね、新しい推しができたんだよ」

英子はカップを置いた。あまりに唐突な宣言に、思わず眉を上げる。

「新しい推し?」

「うん、今度はアニメのキャラクター」

彼女はスマホを取り出し、画面を英子の前に差し出した。そこには大きな瞳と派手な衣装を身にまとった青年キャラが映っている。

「ほら、この人。かっこよくない? 声もいいんだよ」

彼女の頬はほんのり赤く、語る声は高揚感で満ちていた。

「二次元なら熱愛スキャンダルなんて起きないし、匂わせなんかもしない。だから安心して好きでいられるんだよね」

彼女はそう言って、トーストをかじりながら笑った。

ついこの間まで憔悴しきっていたのが嘘のように、目の奥が輝いている。英子はその無邪気さに、やや呆れつつも安堵を覚えた。

「……なるほどね。まあ、確かにその人なら裏切られる心配はないわね」

英子が肩をすくめると、來未は声をあげて笑った。

「でしょ? やっぱ二次元最強」

英子はカップを持ち直し、苦いコーヒーを口に含んだ。

生き方の方向性はまったく違う。それでも、元気に笑っている彼女を見ていると、それだけで十分な気がした。

「今度また髪、染めようかな」

來未がトーストを頬張りながら呟いた。

「また派手な色にするつもり?」

「うーん、今回は青かなあ。だって、このキャラのイメージカラーなんだよ」

そう言ってスマホを見せてくる。英子は画面を覗き込みながら、苦笑を漏らした。

「青ね……またバイト先に何か言われないの?」

「大丈夫大丈夫。髪色自由だから」

彼女は軽やかに答え、次の瞬間にはキャラクターのボイスを再生した。

「ほら、かっこいいでしょ?」

「はいはい、分かった分かった」

彼女は夢中で画面を操作し、画像や動画を次々に英子に見せてくる。英子は笑いを堪えながらも、次はどんな色に髪を染めて帰ってくるのだろう、と心のどこかで楽しみにしている自分に気づいた。

休日の朝は、いつの間にか娘の明るい声で満たされていた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません