<前編のあらすじ>

中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)は、25歳のときに結婚した。義母は「嫁=自分の老後をみてくれる人」という考えで、「私が一人になったら、頼むな」が口癖だった。

ところが、夫の3歳下の弟が結婚すると、義妹から「お義母さん、一緒に住みましょう!」と提案があり、義母は弟夫婦のため、そして終の棲家となるはずの家を建てた。

義母を介護するプレッシャーから解放された片岡さんだったが、次第に本性を表し始めた義妹と義母の仲は次第に険悪になっていく。そこへ追い打ちをかけるように、義弟のがんが見つかった。

●前編:呪文のように「頼む」を繰り返す義母にとって「嫁=老後の世話人」、老後への異常な恐怖心が招く悲劇の始まり

君臨する義妹

義弟が亡くなると、義妹は義母の上に君臨し始めた。義妹に命令されて、義妹の小言(片岡さん家族の悪口)を義母が伝えてくるため、片岡さんの子どもたちは義母から距離を置くようになってしまった。

片岡さんと夫は時々義母の家に寄ると、真夏は暑い日でもエアコンをつけずに扇風機。冬は寒い日でも、小さな電気ストーブが一つだけ。

家にいるはずの義妹はお茶も出さず、片岡さんたちは持参したペットボトルのお茶を飲む。

「私の部屋で冷房とか暖房とかつけてたら、嫁さん(義妹)がもんのすごい嫌な顔すんねん。2階で自分らもつけてるのに。電気も水道もガスも、み~んな私が払ってるのに。私の家で私が自由にして何であかんのやろか?」

そう言って義母は霜焼けのできた足を擦る。

「義母はまだ『自分の家』と思っているけれど、家も土地も義父が亡くなった時に義弟のものになり、義弟が亡くなって義妹が相続したのだから、義妹にとってはもう、義母は邪魔な居候なのだと思いました……」

そして義母90歳の1月の誕生日。珍しく義妹が片岡さん一家を招待し、上等な寿司をとり、ケーキを振る舞った。

いつも仏頂面の義妹がニコニコしているので不気味に感じていると、義妹は話し始めた。

「昨年私の父が亡くなり、母が1人になった。心配だから母を引き取りたいが、すでに義母がいる。高齢の義母と母を私1人でケアできないので、お義兄さんの家で義母を引き取ってくれないか」という内容だった。

「義母は、義妹と同居して13年が経っていましたが、一度も誕生日を祝ってもらっていないようでした。私たちも、このままでは義母は長く保たないと心配していたので、断ることができませんでした」

ところが義妹が実母を引き取ることはなかった。

義妹の正体

結局、義妹は義母の引越しの日取りを勝手に4月に決めると、都合も聞かず、義母の荷物を片岡さんの家に送りつけた。

それを居間だった部屋にざっくりレイアウトすると、高速で1時間半ほどかけて義母を車で迎えに行く。

義母は片岡さんの家に着くなり横になった。

義母の荷物から通帳を見つけた夫は、「金庫に入れとこうか?」と訊ねると、「通帳見てみて」と疲れた声で言う義母。

途端、夫が声をあげる。

毎日のように預金が下されており、残高は数十万円しかない。

夫が理由を聞くと、どうやら義弟ががんになってからと言うもの、治療費や葬儀代、お墓、仏壇、そして義妹と暮らしていた家の光熱費全て、そして極め付けは、義妹の息子の結婚祝いに『100万円くれ』といわれ、出したと言うのだ。

「ひどいことばかりしてきた義妹のために、なんでそんなにお金出してあげたん?」

びっくりした片岡さんが思わず口にすると、「出さんかったら、もっとず~っと前に追い出されてるがな!」義母は大きなため息混じりに吐き出した。

義母のアクセサリーケースは空だったため、聞くと、義妹が「ちょうだい」と言うからあげたと言った。片岡さんは、まだ義父が健在だった頃、義母は義父に買ってもらったお気に入りのカメラを、片岡さんたちが見ている前で、義妹にあげてしまったことがあったのを思い出した。義母は「ちょうだい」と言われると断れない性格だったようだ。

義妹は義母からほぼ全財産をむしり取り、用済みになったから追い出したのではないかと思われた。