<前編>

玲菜は高校1年生になる息子・雄星、夫・孝雄と共に暮らしている。孝雄と結婚して17年。幸せな日々ではあるが、気がかりなことがないわけではない。孝雄はいわば完璧主義者で、それを家族にも強いるところがあった。

そんな孝雄の息子である雄星は、たくましく育った。幼少期からサッカーに打ち込み、その熱の入れようは熱が出ても休まず練習に参加するほどだった。

そんな雄星が珍しく、「頭が痛い」と不調を訴えてきた。無理はさせずに休ませた方が……。そう思う玲菜の脳裏に浮かんだのは「お前がしっかりしていないから雄星が甘える」そう玲菜を叱責する孝雄の姿だった。

念のため検温をし熱がないことを確認し、痛み止めを飲ませて雄星を送り出す。「これで問題はないはず」努めてそう思おうとする玲菜だったが、言いようのない不安を覚えてもいた。

夕方、学校から電話がかかる。玲菜の不安は的中してしまう。

「雄星くんが……サッカー部の練習中に倒れて、先ほど、救急搬送されました」

前編:「梅雨の偏頭痛でしょ?」体調不良の息子を諭して学校へ送り出したが…後に発生したまさかの出来事

ベッドに横たわる息子

雨音と機械音が響く薄暗い病室で、雄星は静かに横たわっていた。顔色は少し青白いものの、呼吸は穏やかで、普通に眠っているように見える。

担当医に聞けば脳出血ということだった。部活中に他のプレイヤーとぶつかった衝撃が原因のようだった。幸い、今のところ後遺症の心配はないらしい。安堵と恐怖と、いろいろな感情が押し寄せて、涙が止まらなかった。

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

入院の手続きを終えたころ、改めてサッカー部の顧問が病室を訪ねてきた。40代半ばくらいだろうか、浅黒く日焼けした肌に、雨で少し湿ったジャージ姿。申し訳なさそうな表情を浮かべながら、彼は深々と頭を下げた。

「お母さん、本当に申し訳ありません。今回の雄星くんのこと、責任を感じています」

「いえ……先生がすぐに救急車を呼んでいただいたおかげで助かったと聞いております。本当にありがとうございます」

「いや、違うんです。実は先週と今日、練習中に、どちらも激しい接触プレーがありまして……」

「え、先週……も?」

驚いて問い返すと、顧問はうなずいた。

「はい、先週は倒れるほどではありませんでしたが……本人が『大丈夫』と言うので、少し休ませてから練習に参加させました。しかし、あのときすぐに病院を受診するよう指導すべきでした」

玲菜は息を飲んだ。

今朝の「頭が痛い」という雄星の言葉は、警告だったのだ。それなのに玲菜は、それを些細な言い訳のように扱ってしまった。

――偏頭痛くらいで休んでたら、またお父さんに怒られるよ。

自分の言葉が、何度も頭の中でこだまする。

「本当になんとお詫びしたらよいか……」

「いえ、そんな……どうぞ頭を上げてください、先生……」

何度も何度も謝罪する顧問を宥めて、なんとか引き取ってもらったあと、玲菜はもう一度病室に戻って眠る息子の顔を見た。

玲菜はずっと夫の顔色ばかり気にしてきた。完璧な夫にふさわしい人間であるために、孝雄の言葉や態度に影響を受け、いつの間にか彼の風見鶏のようになっていた。玲菜は自分の行動基準が、いつの間にか「彼がどう思うか」になっていたことに気づいた。

でも、それは母親として間違っていた。

「雄星……ごめんなさい」

小さくつぶやきながら、玲菜は息子の手を握った。まだ少年らしさを残したその柔らかい手は頼りなく、でもたしかに玲菜の手を握り返しているような気がした。

病室の窓を静かに雨が打ちつけていた。その雨音が、玲菜の胸の奥から浮かび上がる後悔の念を、そっと包み込むように響いていた。