<前編のあらすじ>
中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)は4きょうだいの末っ子として育つ。父親は片岡さんが30歳のときに亡くなり、母親は30年近く悠々自適な一人暮らしを満喫した後、2015年の92歳のとき腎臓がんが判明する。
母親のケアマネジャーは「まだ一人住まいは続けられます」と言うが、次兄と姉は母親を施設に入れることを勧める。片岡さんが少し間でも姉の家で預かれないか打診すると、優しかった姉から「うちは無理!」と信じられない言葉が返ってくる。
結局、帰省するたびに次兄と姉が施設入所のいい話を母親に囁き、まだ自活できていた母親は施設に入ることになった。
●前編:「あんたとはお母ちゃんから受けた愛情の量が違うの!」実母の介護を打診すると…優しかった姉が驚きの豹変
母親の死
母親が次兄と姉が勧める介護付き有料老人ホームに入ってからというもの、片岡さんが面会に行くたびに母親の不満を聞かされることになった。
「食事がまずい、冷めている、牛肉やお刺身が出てこない、同じ食材が使いまわされてしばらく連続して出てくるから飽きる……。施設でやることがない。新しいテレビの使い方がわからない……などの不満を漏らし、挙げ句の果てには、『監獄にいるみたい』とポツリとこぼしました。玄関にカギがかかり、一人で外に出てはいけないことも精神的に辛かったようです」
どうしてこんなことになってしまったのか。
「正直、私は『だから言ったやん』と思いました。私はまだ母は自活できると思っていたし、入所するにしてもケアマネをしている兄嫁さん(長兄の妻)が勧めてくれた施設の方が自由度が高くて良いと思って、次兄や姉、母と喧嘩してまで止めたのに、それを聞かずに入所を決めたのは誰でもない母自身。案の定、次兄と姉は遠いことを理由に、母に会いに来る機会が激減しました」
母親は、がんがリンパ節に転移し、首が腫れ、食欲が落ちてきても、
「胃ろうも点滴もしないで。救急車を呼ばないで。病院へ運ばれると医者は治療しちゃうでしょ?」と何度も言っていた。
それは自分の姉が胃ろうをして、「死ねないのよ〜」と言って苦しんでいる姿が目に焼き付いていたからだ。
首にしこりが出来、みるみる大きくなっても、痛み止めだけもらい、点滴も断り続けた。
施設の医師も、「体が弱り、排出できないのに水分を入れると、パンパンに腫れて苦しいだけなのです」と言っていた。
母親は2020年12月、入所からわずか4ヶ月後、98歳になる1ヶ月前に眠るように亡くなった。