4人きょうだいの末娘
中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)の両親は、父親26歳、母親19歳の時にお見合いで結婚。1944年に長男を出産し、その3年後に次男、次男の2年後に長女、長女の8年後に片岡さんが生まれた。
銀行マンだった父親は35歳の頃、妻になんの相談もなく退職し、薬局経営を始めた。母親は上の子どもたちが小さいうちはベビーシッターを頼み、薬局の仕事を手伝ったが、35歳の時に末っ子の片岡さんを出産すると、子育てに専念する。
やがて、大学を出て薬問屋に勤めていた長兄が25歳で結婚し、家を出てしばらくすると、父親の薬局の経営に参加。
一浪した次兄は19歳の時に関東の大学に進学するため家を出、姉は27歳で関東の人と結婚し、家を出て、2人とも関東で暮らしている。
片岡さんは大学2年の時に、クラブの合宿で同い年の男性と知り合い、その年の夏休みに交際をスタート。大学卒業後はそれぞれ教育系の仕事に就き、片岡さんが25歳の時に結婚。夫の仕事の関係で、実家から特急で3時間ほどかかる田舎町で新婚生活を始めた。
父親の死
片岡さんの父親は、60歳の頃に慢性肝炎と診断されたことを機に、少しずつ長兄に薬局経営の仕事を託し、空いた時間で釣りやカメラの趣味を楽しみ始めた。
70歳の時、「始発で行ったのではいい釣り場を取られてしまう」と言って自動車免許を取得。71歳で初めて高速道路を運転し、釣りをして帰宅。その翌日、脳梗塞を起こした。
父親は入院すると、肝臓がんが見つかった。半年から1年という余命宣告を受けると、治療の甲斐もなく、1年後に死去。まだ片岡さんが30歳の時だった。
遺された母親は、30年近く悠々自適な一人暮らしを満喫していたが、2015年の92歳のとき、血尿が出たことをきっかけに病院を受診すると、腎臓がんだとわかる。それから片岡さんは月1〜2回、電車で1時間半ほどかけて実家に行き、母親の生活をサポート。母親が96歳の時には、心臓機能の低下からペースメーカーの埋め込み手術が決まり、2週間入院。片岡さんは、毎日2時間かけて面会に通った。