「先生、実は……私、昔、父の遺言書を見てこっそり捨ててしまったんです」
それは、ある日終活相談に訪れた女性、佐藤美佳さん(仮名、60代)からぽつりと漏れた言葉だった。机に並んだ財産の一覧表や戸籍謄本を前にして彼女は静かに目を閉じ、過去の記憶をたぐるように語り始めた。
「誰にも言ったことないんですけどね……これ、先生だから話せるんです」
人によっては不快感を募らせるだけかもしれない。だが、だからこそ今回は、あまり語られることのない、遺言書を破棄しそのまま事が進んでしまった事例について触れていこう。
始まりは父の死と1枚の遺言書
話は今から20年ほど前にさかのぼる。美佳さんは父親の忠邦さん(仮名)が亡くなる直前、家族全員に向けた遺言書を発見した。噓のように出来すぎたタイミングだったのだが、これは本当に偶然で、後にも先にもこんなタイミングの出来事はないだろうと彼女は当時語っていた。
話を聞くと、形式はオーソドックスな自筆証書遺言。自筆証書遺言とは、いわゆる一般的にイメージされるような本人が手書きして作るタイプの遺言書だ。この手の遺言書はたびたび偽造や変造が問題とされるのだが、今回見つかった遺言書は父が自ら書いたもので、封筒にはしっかりと「遺言書」と記されていた。加えて実印での押印もなされていて、その信頼性は相当に高かったことが想定される。