全額自費に

病院の会計窓口で提示された請求書を見た瞬間、ゆかりは目を疑った。

「……5万?」

声を潜めたつもりだったが、思わず驚きの声が漏れてしまった。

たった1回の点滴治療と精密検査、診察だけで、この金額。

義母が健康保険を払っていなかったことを知ったときの衝撃が再び胸に広がった。

「これ、どうするんですか?」

ゆかりは点滴を終えたばかりの義母をちらりと見たが、彼女は視線を逸らしたまま

口を閉ざしていた。

「……何とかするわよ」

そう言いつつも、財布を取り出す義母の手は明らかに震えていた。近所に買い物に出ていただけの義母が5万円もの現金を持ち歩いているとは思えない。

「はあ……カードでお願いします」

仕方なく、ゆかりは自分のカードで支払いを済ませた。窓口のスタッフが申し訳なさそうに微笑むなか、義母は何も言わずにじっと立っているだけだった。

帰り道の車内は、奇妙な静けさに包まれていた。

後部座席に座る義母は窓の外を見つめたまま何も言わない。ゆかり自身もどう話を切り出せばいいのか分からず、運転に集中するふりをする。

しばらくして沈黙を破ったのは、意外にも翔太だった。

「おばあちゃん、あんなに豆いっぱい食べてたのに、ご利益なかったね」
幼い声でぽつりと呟いたその言葉に、ゆかりは思わず笑いそうになった。

ルームミラー越しに義母の顔を見ると、いつものように怒るでもなく、返す言葉を探しているようだった。

「それとこれとは……」

そう口を開きかけたものの、結局、義母は何も言い返さずに黙り込んでしまった。その姿が珍しく、ゆかりは内心の愉快さを噛み殺すのに必死だった。

「お義母さん」

信号待ちの間に、ゆかりは義母に声をかけた。彼女は檻にでも閉じ込められていると言わんばかり、まだ外を眺めたままだ。  

「元気になったら、一緒に国民健康保険の手続きをしましょうね。またこんなことがあったら大変ですから」

「……分かってるわよ」

その返事は、どこか拗ねたようにも聞こえた。だが、それ以上反論がなかったこと。どうやら今回のことは、義母的にも相当こたえているらしい。

「おばあちゃん、貧血なんでしょ? お肉たくさん食べて早く元気になってね」

素直なその言葉に、義母が少しだけ微笑んだのがミラー越しに見えた。

「……迷惑かけてごめんなさいね。それに、……ありがとうね、翔太……ゆかりさん」

翔太の頭を撫でながら少し照れくさそうに義母が自分の名前を呼んだ声をゆかりは聞き逃さなかった。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。