<前編のあらすじ>

初美と大祐夫婦は不妊治療をするもなかなか子宝に恵まれなかった。40歳となり、ついに治療を断念した二人のもとにやってきたのがジャックラッセルテリアのレオだった。

はじめての犬との暮らしに戸惑う二人だが、いつしかレオとの日々はかけがえのないものに変わっていた。

そんなレオには才能があった。ふとしたきっかけで誘われた「アジリティー」と呼ばれる犬の障害物競走とでもいえる競技の大会に出場すると、あれよあれよという間に入賞してしまったのである。

そこから初美はレオとのトレーニングにのめりこんでいった。そして来る大会での優勝を目指していた初美とレオを思わぬアクシデントが襲う。

予選会で別の犬と思い切りぶつかってしまうレオ。すぐさま立ち上がり気丈な姿を見せるも、左前脚をかばうようなしぐさを見せていた。

もう、レオは競技を続けられる状態ではなかった。だが、舞い上がっていた初美は冷静な判断を下すことができなかった。

「今日だけ我慢しよう」

レオに向かってそうつぶやく初美に大祐が言葉をかける。

「本当に、それでいいの?」

前編:子供に恵まれなかった夫婦にやってきたジャックラッセルテリア 夫婦に臨時収入をもたらした愛犬のまさかの才能とは

レオの存在を軽んじていた

「本当に、それでいいの?」

大祐の言葉が、初美の心の奥にずしんと響いた。小さな体を包むゼッケンが、急に重たく見える。痛めた足をかばいながら、それでも初美の顔を見て尻尾を振るレオ。

彼の中にあるのは、勝ちたいという意志ではなく、初美を喜ばせたい、その一心のような気がした。

「……レオ、ごめんね」

初美はそっとゼッケンを外し、タオルにくるんだ保冷剤を足元に当てる。

あれだけ熱心に練習してきた日々が、一気に色褪せていくようだった。だが、悔しさはない。それよりも、胸に広がったのは深い反省と、羞恥の念だった。自分の欲に囚われて、レオの存在を軽んじていたことに気づいたのだ。

「初美、行こう」

大祐が肩に手を置き、声をかけてくる。初美はうなずき、レオをそっと抱き上げた。ふわふわの毛並みが頬に当たり、体温が初美の腕に染みてくる。運営に棄権を伝えて会場を後にし、車に乗り込むと、ようやく張り詰めていた気持ちがゆるんだ。

「……わたし、あの子を、勝たせたくて必死だった。でも、本当は、自分が褒められたかっただけなんだよね。誰かに認めてほしかったんだと思う。レオを通して」

助手席からぽつりと漏らすと、大祐は初美のほうをちらりと見て言った。

「それでもいいと思うよ。初美が頑張ってたのは事実だし、ちゃんとレオもそれを分かってた……ただ、レオ的には初美に笑っててほしかっただけなんじゃないかな」

初美は目を伏せて、小さく息を吐いた。

「あんまり笑って、なかったよね、私……」

「まあ、ちょっと、必死すぎたかな。でも、気づけてよかったじゃん」

「うん……そうだよね」

振り返ると、後部座席のキャリーの中で、レオは丸くなっていた。普段と比べると、少し不自然に見えるその体勢を見て心がちくりと痛む。

「痛かったよね……無理させようとしたよね……」

自責の念がじわじわと広がっていく中、それでも初美は先ほどよりも穏やかな気持ちでレオを見つめることができていた。