止めてくれてよかった
レオの診察結果は、思っていたよりずっと軽いものだった。診断は軽度の打撲で、数日安静にしていれば元通りになるという。
帰宅後、レオはいつもの毛布の上で静かに丸くなり、すぅすぅと寝息を立て始めた。小さな体が上下に揺れるたびに、初美は何度もその無事を確かめるように目をやった。
「初美も休みなよ」
キッチンから戻ってきた大祐が、コーヒーをふたつ持ってきて、初美の隣に腰を下ろした。
窓の外はすっかり暮れている。
「レオ、大事なくて良かったね」
大祐がカップを口に運びながら、レオの方を見てつぶやいた。
「うん……もしもあのまま出場させてたらと思うとゾッとする。大祐が止めてくれて本当に良かった。ありがと」
「どういたしまして」
初美はカップを両手で包みながら、小さく自嘲気味に笑った。
「私、熱くなって周りが見えなくなってた。勝つこと、賞金、誰かに認められること……たぶん、自分に価値があるって、そうやって確かめたかったんだと思う。本当はあの子がいてくれるだけで良かったはずなのに」
大祐は初美の言葉を否定も肯定もせず、ただ黙って聞いていた。その沈黙が、初美には心地よかった。
「でも今日、レオの目を見たとき、はっとしたの。あの子、何も求めてなかったんだよね。ただ、私と走るのが嬉しくて、楽しくて、それだけだった」
「初美にとっても、そうだったんじゃない? たしかに大会で勝ったときも嬉しかったけどさ。それより俺には、レオと一緒に走ってるときの初美が一番楽しそうに見えたよ」
初美はその言葉に、静かにうなずいた。
思い返せば、大会で入賞したときよりも、賞金を手にしたときよりも、夕暮れの公園で、ただレオと追いかけっこをしていた時間の方が、ずっと心があたたかかった。
足元で眠るレオに、そっと手を伸ばす。柔らかな毛並みに触れた瞬間、小さく尻尾が揺れた。
「……ありがとう、レオ。ほんとに、ありがとう」
言葉にすると、胸の奥からじんわりと熱いものがこみ上げてきた。
「これからは、無理のないペースで走る。競技を続けるとしても、順位とか周りの評価のためじゃなく、レオと一緒に楽しむためにする」
大祐が、そっと初美の手に自分の手を重ねた。
「それが一番だと思うよ。たまには俺も一緒に走るし」
「大祐が走るのは、珍しいけどね」
初美はふっと笑うと、つられて大祐も笑った。
笑い声が混じるその穏やかな時間が、たまらなく愛おしかった。
ふと、レオが小さくくしゃみをした。その音に、2人して思わず顔を見合わせる。