夫は動物園の職員だった
猫を保護して家に帰り、傷口を消毒しようとしたが、暴れてうまくいかなかった。明日、獣医さんに診てもらわなくては。段ボールにタオルを敷いて簡易の寝床をこしらえ、皿に水を入れておいた。段ボールに飛び込んだ猫は水に気付き、しばらくすると警戒をしながらもおそるおそる水に舌を付けた。
妙子はその様子に、ひとまず胸をなでおろした。見たところ首輪はついていないから、飼い猫というわけでもないのだろう。どうせ妙子にはやることがない。ならば、この猫の気が済むまで休める場所くらいにはなってもいいだろうと思った。
「しばらく休んでいくといいさ」
妙子は猫をなでようと手を伸ばすが、警戒した猫は段ボールの隅に移動して威嚇するようにシャーと牙をむいた。
「なんだい。つれない子だねぇ」
そう言いながらも、猫を放り出すようなつもりはない。きっと秀樹なら、猫のけがが完治するまで家で面倒を見てやるに違いないからだ。
秀樹は定年まで動物園の職員として働いていた。普段からずっと動物園にいるはずなのに、休みの日までよく動物園に連れまわされたものだ。家で動物を飼おうという話が持ちあがることこそなかったが、動物園で担当している生き物の話をする秀樹は少年のように楽し気だったことを思い出す。
「あたしはね、妙子って言うんだ。妙子だよ」
妙子は猫に話しかける。人間のことを警戒している動物には辛抱強く話しかけて信頼関係を築いていくのが大事なんだと、秀樹が言っていた。
「そうだ。一緒に暮らすんだからあんたにも名前が必要だね。……ミーミーって鳴いてたからミーちゃんなんてどうだい? 安直かね」
みー。
三毛猫はあくび混じりに鳴く。
まあ、名前なんて何でもいいだろう。お互いに呼び合う名前があることが大事なんだ。
こうして、妙子とミーの共同生活が始まった。
●突然やってきたミーに癒やされていく妙子。1人と1匹の距離は縮まるのだろうか。 後編【縮まらない“保護猫”との距離…人間へ威嚇をし続けた猫がふれ合いを許してくれた「簡単なきっかけ」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。