アルバムをめくるたび、匂いや景色や夫の声がよみがえった。先月、夫の秀樹が老衰で亡くなった。無事に葬儀を終えた妙子は重い腰をあげ、ようやく遺品整理を始めた。
秀樹は写真が趣味で、書斎にはたくさんのアルバムが敷き詰められている。背表紙にマジックで書かれた日付の、きちょうめんな筆跡すらもいとおしかった。けれど肝心の写真は、日常の風景や動物園の動物、妙子を写したものがほとんどで、秀樹が写っている写真は少なかった。
「これなら、私もあの人の写真をもっと撮っておくんだったよ」
妙子はぼやきながら、アルバムをめくっていく。寂しい気持ちはあるが、悲しみはあまりなかった。もうしばらくしたら、また会える。そう思っていた。一度見始めてしまうと遺品整理ははかどらず、けっきょくただ思い出に浸るだけでその日は終わった。
妙子は独りぼっちの居間で食事を取った。秀樹はいつも妙子が作る料理をおいしそうに食べてくれた。そんな秀樹がいない食卓は、一カ月がたっても慣れなかった。気持ちを紛らわすようにテレビをつける。内容はちっとも入って来ず、にぎやかな笑い声だけが耳元を滑って消えていく。部屋が寒く感じるのは、単に今が冬だからというわけではなかった。
明日は何をしようか。秀樹が亡くなってから、妙子はよく考え込んでいた。秀樹が亡くなるまでの2年間、妙子の生活の中心は介護だった。脳梗塞を発症した秀樹は下半身不随になり、ずっと妙子が秀樹の生活を支え続けていた。亡くなる3カ月前からは寝たきりの状態になり、ヘルパーも頼んでいたが、それ以外の日常の世話を妙子がやっていた。
近所の友人には、大変だったね、偉いねと同情のような言葉をかけられることも少なくない。もちろん大変だったと言われたら、そうだ。だがつらいとは思わなかった。生前の秀樹にたくさんの幸せをもらった妙子にとって、介護は恩返しの機会だったのだ。自分が秀樹を支えているということに使命感もあったし、周りが言うほど、つらい日々ではなかった。何より、今思えば、秀樹がそばにいてくれたことが幸せだった。
しかし秀樹がいなくなった今、のこされた妙子には何もやることがなかった。自由と言われれば聞こえはいいが、心は何ひとつとして躍らなかった。
「明日、何をしようかね……」
妙子は声に出してみた。
しかしにぎやかなテレビの音に紛れるだけで、答えは永遠に返ってこなかった。