「はい、それじゃ立たせるわよ」

朱美が母である静枝の背中を押すと、座布団に座っていた静枝はすんなりと立ち上がる。動画でこのやり方を見てから、静枝を立たせるのがとても楽になった。

足腰を悪くした静枝のために、週3くらいのペースで実家を訪れて介護をするのが、朱美のここ数か月の過ごし方だった。

とはいえ、介護は決して楽ではない。朱美は心身ともに健康ではあったが、52歳という年齢もあって、体力的なきつさもある。それでも静枝のために介護の勉強をしながら、身の回りの世話をしていた。

静枝をトイレに行かせて、また居間のちゃぶ台の前に座らせる。静枝は大好物のミカンをおいしそうに食べながらテレビを見ていた。

「お母さん、ちょっといい?」

静枝がゆっくりと朱美に目を向ける。朱美はちゃぶ台の上のリモコンを手に取って、テレビの音量を下げた。

「お母さん、相談なんだけどね、うちで、一緒に暮らさない?」

「え? どうして?」

静枝は目を見開いた。驚いたというよりも、不信感を抱いたような、そういう感じの表情だった。

「だって、この家で1人で暮らすのは大変でしょ? うちね、亮一も就職のために家を出ていって、部屋が余ってるの。だからどうかなって」

この家で一緒に暮らしていた夫、つまり朱美の父も3年前に亡くなっている。介護が必要な今の状況の母を、たった1人で生活させておくのは娘として心配だった。

しかし静枝は首を横に振り、困ったように笑った。

「そんなの、いいわ。功平さんも嫌がるだろうし」

「功平は賛成してくれた。だから何も気にしなくていいのよ」

「いいのいいの。私はここでの生活が慣れているから」

「でも、1人で暮らすのも大変でしょう?」

「いいったらいいんだよ。私はどこにも行きやしないよ」

温和で物腰の柔らかい静枝はかたくなに同居を拒んだ。理由は言ってくれなかったが、首を縦に振らせるのは難しそうだった。