特別な夜に交わす新たな約束
夜の街は、冬の手前で少しだけ足踏みをしているような冷たさだった。
静かな通り沿いにあるレストランの入口をくぐると、柔らかい照明と落ち着いた音楽が迎えてくれる。普段使いにはちょっと勇気がいる雰囲気。予約名を告げる勇樹の声は少し上ずっていたが、店員は穏やかに頷き、2人を窓際の席へと案内した。
「……ここ、初めて?」
智子がメニューを開きながら尋ねると、勇樹は小さく笑って頷いた。
「職場の後輩に聞いた。評判いいって」
「へえ……いいセンスしてるじゃん」
「たまには、ね」
照れくさそうに目を逸らしたその顔に、智子はようやく自然な笑みを浮かべた。グラスに注がれたスパークリングワインの泡が、かすかに弾ける音を立てる。軽くグラスを合わせた瞬間、ようやく2人の時間が「正常に戻った」と実感できた。
「じゃあ……改めて。いい夫婦の日、ってことで」
「うん……乾杯」
ワイングラスの縁が、静かに響いた。
料理はどれも丁寧で、主張しすぎず、食材の香りが自然と口の中に広がる。緊張していた会話も、食事が進むにつれ、少しずつほどけていった。デザートに差し掛かる頃、智子がテーブルナプキンを指でたたみながら言った。
「この間、ちゃんと話せてよかったと思ってる。今まで、ああいうふうにぶつかったこと、なかったから」
「うん……」
勇樹は少し間を置いて、続けた。
「ちゃんと話すの、苦手だし、サプライズも下手くそだし。でも、分かってもらえるまで話す努力はしなきゃって思った」
智子は頷いたあと、小さく息を吐いた。
「私もさ、つい自分で完結しちゃうとこあって。気づいてたのに、向き合うのが怖かったのかも。だから……ルール、決めない?」
「ルール?」
「うん。お互いの“すれ違い予防策”。そんなに堅い話じゃなくて、簡単なやつ」
勇樹は少し考えてから、頷いた。
「例えば……“サプライズのときは、準備中ってだけ言う”とか?」
「そうそう。それでいこう。あとは、“疑わしいことがあっても、すぐ詰めずに24時間置く”。一呼吸ね」
「……なるほど。冷静になる時間か。けっこう現実的だな、それ」
「そういうのが一番続くのよ」
食事を終え、店を出たときには、すっかり日が落ちていた。
冷たい風が頬をなでる。並んで歩く足音が、アスファルトに心地よいリズムを刻んでいく。2人で顔を見合わせると、どちらからともなく、笑みがこぼれた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
