<前編のあらすじ>
向後拓也さん(仮名・41歳)は小学1年生の時、母親と生き別れています。代わりに拓也さんを育ててくれたのは、家政婦の雅子さん(仮名)でした。
それから35年後、税理士事務所から封書が届き、音信不通だった母の死を知らされた拓也さん。遺産は全て公益法人に遺贈されていましたが、唯一の法定相続人である拓也さんには、相続税や現物資産の譲渡所得税の申告・納税の義務があることを知らされます。
●前編:【「なぜ自分を捨てた親の尻拭いを?」母と生き別れ35年、突然発生した相続税の申告義務に41歳男性が抱いた怒り】
35年ぶりに重くのしかかる母の存在
私の母は、私が小学校1年生の時に“飲み仲間”の男性と駆け落ち同然に家を出ていきました。以降、一度たりとも連絡を寄越したことはありません。
当時が小学1年生ですから母の記憶が全くないわけではないのですが、私は、そんな母よりも、私のことをいろいろ気にかけてくれた通いの家政婦の雅子さんの方を慕っていました。
母は家を出て行く際、雅子さんに私のことを「生物学的には私の子かもしれないけれど、我が子として愛情を感じたことは一度もない」と言い捨てたそうですが、それは私にしたって同じこと。母という存在は、私の人生から抹殺されていたのです。
私の妻は「一卵性母娘」と自称するほど義母と仲が良く、娘も含めた3世代で頻繁に出かけています。そうした姿をうらやましいとは感じても、母に会いたいと思ったことは一度もありません。
ですから、昨年、税理士から母の死を聞かされた時も動揺はしませんでした。母が自宅や金融資産、株式など億単位の財産を全て、ある公益法人に遺贈するという遺言書を残していたと聞いても、「どうぞ、ご自由に」という気持ちでした。
しかし、私が母の唯一の法定相続人で、母の遺産を受け取る受け取らないにかかわらず、相続税や現物資産の譲渡所得税の申告・納税をしなければならないと聞けば話は別です。
幼い私を置いて勝手に出て行って、手紙1つくれることもなかったくせに、死んだ後まで面倒を見させるなんてふざけるな! 昏い怒りの感情がふつふつと湧き上がってきました。
この状況にどう対処したらいいか考えた時、ふと思い出したのが、弁護士になった雅子さんの娘の杏子さんのことでした。雅子さんから、「相続専門の弁護士」だと聞かされていたからです。