向後拓也さん(仮名)は実のお母様と生き別れています。お母様は美大を出てアーティストを目指していた華やかな女性。しかし、拓也さんが小学1年生の時に黙って家を出てしまい、その後は音信不通に。お母様の代わりに拓也さんを育ててくれたのが、当時、家政婦として向後家に出入りしていた雅子さんでした。
それから35年の月日が流れ、自身も娘の親となった拓也さんの下に、お母様の死と相続についての知らせが届きます。億単位の遺産は全額ある公益団体に遺贈するという遺言書が残されていましたが、相続税の申告や納税義務は唯一の法定相続人である拓也さんにあると聞かされ、拓也さんは怒りにかられます。
なぜ、自分を捨てた親の尻拭いをしなければならないのか。そんな拓也さんを献身的にサポートしてくれたのがある専門家で、その人は“育ての母”雅子さんのひとり娘でもありました。「雅子さんら母娘には頭が上がりません」という拓也さんに、事の経緯を聞きました。
〈向後拓也さんプロフィール〉
東京都在住
41歳
男性
会社員
会社員の妻と小学生の長女の3人暮らし
金融資産1800万円(世帯)
アーティストの夢を捨てきれず、酒に溺れた母
私には生き別れになった母がいます。母が父と私を残して家を出たのは私が小学校に上がった年だったので、母の記憶が全くないわけではありません。
記憶の中の母は、子持ちとは思えない派手な化粧や服装を好み、友人との付き合いでしょっちゅう家を空け、そして、家にいる時は自分の感情を抑えられずに父や私に怒鳴り散らしてばかりいました。
父と母はともに美大の出身で、アーティストを目指していたそうです。父は早めに自分の才能に見切りをつけてギャラリーの主となり、その後、アパレル関係の店も立ち上げました。
一方、母の方はギャラリストに転身した父と結婚して私を生んだ後も、アーティストへの夢が断ち切れなかったのでしょう。母の美大仲間には賞を受賞したり、有名なギャラリーと契約したりした人もいて、負けず嫌いの母はそんな人たちに比べて自分の才能が見劣りするとは決して認めたくなかったのだと思います。
後年、父から聞いた話では、母はそうした友人のパーティなどに出かけては、飲み過ぎて周り中に絡むなど醜態をさらしていたようです。母が酒臭い息を吐きながら深夜に帰宅する姿はおぼろげながら覚えています。