「我が子として愛情を感じたことは一度もない」母親の衝撃発言
そして私が7歳の誕生日を迎える1カ月前、母は突然、父や私が全く知らない“飲み仲間”の男性と出奔したのです。父には「さようなら」というメモを残していたようですが、私には別れの言葉1つありませんでした。その日の朝、母は登校する私をいつものように送り出してくれましたが、帰宅した時はもう荷物をまとめて出て行った後でした。
当時、我が家には雅子さんという通いの家政婦さんが来ていました。家事や育児をしない母に代わって私の面倒を見たり、食事の支度をしたりしてくれていたのですが、母は雅子さんが買い物に出た隙を狙って家を出ようとしていたようで、戻ってきた雅子さんと玄関で鉢合わせし、大騒動になったと聞きました。
「せめて拓ちゃんにご挨拶をして行ってください」と懇願する雅子さんに、母は「生物学的には私の子かもしれないけれど、我が子として愛情を感じたことは一度もない」と言い放ったそうです。
しかし、それは私も同じでした。実質的に私を育ててくれたのはその雅子さんで、中学生になって父が秘書だった女性と再婚するまでは毎日我が家に通い、時には宿題を教えてくれたりもしました。今思えば、雅子さんは当時50歳前後で、私から見れば母よりも祖母に近い年齢だったのですが、小学生の頃は真剣に父が雅子さんと再婚してくれたらいいのにと思っていたくらいです。
雅子さんは10年ほど前に鬼籍に入りましたが、それまでは時折やり取りがあり、女手1つで育てた娘さんが弁護士になったことをうれしそうに報告してくれたりしました。
父と母のDNAを受け継ぎながら、私には全く美術的な才能がなく、興味のあったIT系の大学に進み、卒業後は公益サービス系の企業のIT部門で働いています。
10年前には同僚と結婚し、今年、小学2年生になる娘がいます。子供を持って改めて、いかに自分と母との関係が特殊なものであったか痛感しました。妻などは自分で「一卵性母娘」と言うほど義母と仲が良く、母娘3代で毎週のように買い物や映画、テーマパークなどに出かけている姿を見ると、うらやましくなります。