財布の中の「証拠」

翌日の金曜、智子は定時に仕事を終えた。珍しく残業もなく、駅前のスーパーで特売の鶏肉ときのこを買い、帰宅の足を速める。ただいま、と玄関を開けると、リビングは静かだった。

灯りはついている。だが、勇樹の姿が見えない。

「……ただいま」

再度声をかけても返事はない。代わりに、ソファの上に無造作に置かれたジャケットと、そのすぐ横の財布が目に入る。智子は鞄を置き、エプロンをつけかけた手を止めた。

財布が、やけにふくらんでいるような気がした。

見てしまえば、戻れないかもしれない。でも、見なければ、このざわつきは消えない。

そんな葛藤の末、智子はそっと財布を開いた。

まず目に入ったのは、名刺サイズのショップカード。白地に派手なピンクのロゴ、流れるような筆記体。キャバクラの割引券、それも繁華街でよく見かけるタイプのものだった。

次に、レシート。智子の眉がぴくりと動く。桁が明らかにおかしい。財布の中で半ば折れたそれには、智子が知るあの高級ブランドの名前が、小さく印字されていた。品目の欄には「カードケース」。

購入日は3日前。誕生日でも、記念日でもない。一瞬誰かへの昇進祝いだろうかと考えたが、職場の人事異動は時期がずれている。

「……はぁ?」

声にならないつぶやきが漏れる。顔の火照りは、怒りなのか動揺なのか、自分でも判然としなかった。そのとき、奥の寝室から足音が聞こえた。

「……あれ、もう帰ってたんだ」

勇樹だった。

ワイシャツ姿のまま、手にペットボトルを持ってリビングに戻ってくる。智子は財布をそっと閉じ、ソファに腰を下ろした。

「これ、何?」

問いかけは淡々としていた。だが、その裏に張り詰めた糸のような緊張があることを、自分でもよくわかっていた。

勇樹は一瞬動きを止めた。視線を財布に落とすと、そのまま言葉を探すようにしながら口を開く。

「……いや、それは……違うんだ」

「何が違うの?」

「その、別に……そういうのじゃなくて……」

歯切れの悪さが、逆に智子の中のざわめきを掻き立てた。

「名刺もレシートも、“違う”って言える材料は、ここにはないけど?」

勇樹は何かを言いかけて、結局黙り込んだ。視線を落とし、額を指でこする。その仕草すら、今の智子にはごまかしにしか見えない。

智子は自分の喉が熱を持っていくのを感じながら、唇を噛んだ。やるせない気分が、膨らんだまま落ち着く場所を探せず、部屋の空気だけが重くなっていった。

●夫・勇樹の財布からキャバクラの割引券と高額レシートを見つけた智子は、夫を問い詰める。深夜まで続く2人の対峙の行方は…… 後編【不倫疑惑の夫が妻に隠していた「まさかの秘密」不器用すぎる顛末から生まれた夫婦関係の新ルール】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。