「奥さん、浮気でもしてるんじゃないですか?」
会社の部下の山村はグラスに入ったワインを一気に流し込むと、そう言った。
「ばかなこと言うんじゃないよ」
大輔はくだらないと一蹴し、ナッツをかじる。仕事帰りによく立ち寄るバーのなじみのナッツだが、急に塩気がなくなり味がしなくなったような気分になる。
「永田さんの奥さん、若くてきれいですから、引く手あまたなんじゃないかなって」
「無礼講にもほどがあるぞ、お前?」
「すいません、冗談です」
山村は肩をすくめてナッツをかじる。よほどうまいのか、酔っているのか、必要以上な反応で舌鼓を打つ。大輔はかばんを手に取り、マスターに会計を申し出た。
結婚3年、港区のタワマンを手に入れた
大輔はすっかり涼しくなった秋の夜風に吹かれながら帰路に着く。とは言っても、住んでいるのは駅から徒歩2分のタワーマンションなのでそれほど季節を感じるようなこともない。
エントランスを抜け、自宅がある24階までエレベーターで上がる。自動検知で照明がついた家のなかは静かで、人がいる気配はない。大輔は妻の瑠美が、今日も妹夫婦のところに泊まると言っていたことを思い出す。
一回り年の離れた瑠美と結婚したのは3年前のこと。それまで何人もの女性と付き合いはしたものの、結婚し家族になり将来を共にしたいと思える女性に出会ったことのなかった大輔にとって、瑠美は本当に大切な存在だった。
結婚後は仕事を辞めて専業主婦になり、大輔を支えてくれるようになった瑠美に不自由な思いはさせたくないと、大輔はさらに仕事に傾倒した。そのかいあってか、昨年、大輔は最年少で部長補佐という役職を得て、給料も大きく上がった。港区のタワーマンションを購入し、誰もがうらやむような順風満帆な暮らしを手に入れた自覚があった。
しかしそんな幸せに影が差し始めたのは半年前のこと。きっかけは瑠美の妹夫婦に子供が生まれたことだった。子供好きだった瑠美は忙しい妹夫婦に代わって、赤ん坊の世話をしに行くことが増えた。妹夫婦が医者と看護師であるために夜勤も多く、今日のように泊まりがけで面倒を見に出掛けることも珍しくはないため、夫婦で過ごす時間は徐々に少なくなっていった。家に帰ってから瑠美がいないことは寂しくもあったが、楽しそうな瑠美を見ていると大輔は何も言えなかった。
ひょっとすると、自分たちの間に子供がいないことが影響しているのかもしれないとも思ったが、こればっかりは大輔ではどうすることもできなかった。何より夫婦の時間が減っているのだから、子供以前の問題だろう。