<前編のあらすじ>
夫の博がパワハラ対応への不満と異動命令に納得できず、自己都合退職を選んだという。定年まであと1年半だったが、退職金は大幅に減額された。持病を抱える妻・しずかは、通院費や固定費を考えると不安が募る。
頼みの綱だったパート先も経営難で年内閉店が決定。シフトを増やすつもりだったしずかは働き口を失うことになり、家計の先行きに暗雲が立ち込める。
しずかは娘・彩香に状況を伝えることを提案するが、「心配をかけたくない」と博は拒否。それでも2人は求人を探すことで合意し、家計メモを広げて今後の計画を立て始めた。
●前編【「これだけ?」定年前の自己都合退職で大幅減額された退職金…老後を目前にした妻の胸中に広がった“底知れぬ不安”】
退職金の半分が消えていた
10月の夜は、台所の床がひんやりとしていた。
しずかは洗い物を終え、食卓の端に置いた家計メモを閉じた。博はダイニングの机に向かい、スマホの画面を真剣に見つめている。仕事を探すと言っていた時間帯なのに、問い合わせたり、メモを取ったりする様子がないのが気になった。
「何見てるの」
声をかけると、博の肩が一瞬だけ強張った。
「……値動きを見てる」
しずかの胸の奥がざわついた。最近は銀行から通知が来るたび、心臓が先に反応する。
「値動きって……?」
博は答えず、スマホをテーブルに伏せた。
問い詰めたくはない。だが、黙っていても不安が増すだけだ。
「私にも見せて」
しずかがそう言うと、博は観念したようにスマホを差し出した。
画面にはいくつかのグラフが並び、しずかは苦労しながら内容を読み取った。購入時の価格よりもずいぶん値下がりしている。
「これって、投資?」
博は目を伏せたまま答えた。
「退職金の代わりに稼ごうと思った。自分で捕塡するつもりだったんだ」
しずかの喉が熱くなった。怒りが先に立つ。が、それをそのまま口にすると、取り返しがつかなくなる気がしたので、深く息を吸って、吐いてから問い直す。
「いくら入れたの」
博は小さく答えた。
しずかは頭の中で残高を思い浮かべる。
貯金の約半分。支払いが頭をよぎり、一気に背中が冷たくなる。
「減ったものは仕方ありません。でも、これ以上、勝手に使われるのは困ります」
しずかは声を荒げず、静かに言った。怒りよりも、怖さのほうが勝っていた。
「病院の支払いもあるし、月々の固定費もある。残りで回すしかないの」
博は唇をかみ、素直にうなずいた。
「黙ってやったのは悪かった。……取り戻そうとして、余計にドツボにはまった」
「今後は、家のお金を黙って動かさないこと。約束できますか?」
博はしずかの手元を見て、ようやく顔を上げた。
「ああ、約束する」
しずかはそれを聞いて、うなずいた。
完全に安心はできない。それでも、線引きができれば次の手が考えられる。
しずかは明細の画面を閉じさせ、机の上の書類の束に家計メモを重ねた。紙の端がそろう感触を確かめ、ゆっくりとペンを置いた。
