過去の幸せはどこに…
恵は咄嗟にリモコンに手を伸ばし、停止ボタンを押した。画面が一瞬で暗転する。
「参ったなあ……」
数秒間、何も考えられなかった。呼吸が浅くなっていたことに、遅れて気づく。
映像はただの記録なのに、記憶よりも鮮やかで、確かな形を持っていた。もう一度、再生。
自分がスタートラインに立ち、笛の音と共に駆け出す。母の声、父の声。後ろから追いかけてくるような熱のある声。
止める。巻き戻す。また再生。
何度も繰り返すうち、声の調子、息の間、母の拍手のタイミングまでもが、恵の身体に入り込んできた。その声は、恵の記憶にある静雄とは違っていた。酒に酔い、険のあるまなざしで家の空気を曇らせていた姿とも、離婚後の沈黙とも、まるで重ならない。
映像を止めたまま、画面を見つめる。静止した一瞬の中に、失われた家族の幸せが封じ込められていた。
遠くで車の音がした。窓の外は、すっかり夕方の色を帯びている。光が斜めに入り込み、テレビ画面に薄い反射が浮かんだ。
恵は立ち上がり、棚の上のテープの列を見やった。すべてを再生する必要はないかもしれない。ただ、それでも、あの声がどこから生まれ、どこへ消えたのか。
——知りたい。
その気持ちは、はっきりと形になっていた。
過去に戻ることはできない。でも、記録をなぞることはできる。
●長年疎遠だった父・静雄の危篤の知らせを受けた恵。静雄の部屋にあった家族のビデオを見て、残された時間で静雄の真意を確かめようとするのだった…… 後編【「あと1年早ければ…」父のノートに書かれていた会えなかった本当の理由…病室で交わされた"本音と涙"の対話】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
