「墓なんて必要ないよ」

昼食を取っていた母・礼子が突然切り出したぶっきらぼうな言葉に、有紀は固まった。

「……何よ急に?」

「私が死んでも、墓なんて止めてって言ってるの」

礼子の年齢は87歳で、現在、介護が必要な生活をしている。加齢による衰弱により足腰が弱くなっていて、家事や買い物をこなすのが難しくなってきている。そのため、デイケアを使いつつも、車で15分程度の距離のマンションに住んでいる専業主婦の有紀と夫の利喜が、定期的に実家を訪れては礼子の身の回りの世話をしていた。

「止めてよ、縁起でもない。そんなことを考えていると本当にあの世に行っちゃうよ」

「私はもう長くない。そんなことは自分が一番分かっている。だから、墓のことは今のうちに決めておいたほうがいいだろう」

有紀はため息をついて、箸を置いた。

礼子は駆け落ちで父と結婚して、私を身ごもった。しかしその父も私が小学校に上がる前に蒸発し、以来女手ひとつで私を育て続けた。くだんの駆け落ちのせいで、実家・義実家ともに縁を切られていたから、礼子には死後入るための先祖の墓がなかった。だから当然、有紀は自分たちが用意するものと決めていた。いや、正確にはそう何か約束をしたわけではなかったが、自然とそうなるのだろうと思っていた。

「そんなこと急に言われても困るわよ。もし、お墓に入らないなら、お骨はどうするつもりなのよ」

とうとうぼけてしまったのだろうか。有紀は深くため息をついた。

「海にでもまいてくれればいいよ。とにかく墓なんて必要ないから」

「海にまくって……」

礼子の言葉に有紀はあきれてしまった。海にゆかりがあったり、海が好きな人が散骨をするのならまだ分かる。しかし、礼子が海好きだなんて聞いたことなかった。むしろ縁を切られた実家があるのが港町だと言っていたから、嫌ってすらいたと記憶している。

「なんで急にそんなことを言うの? 何かあったの?」

「前から考えていたんだよ。死んだ後に、あんな暗い墓の下に置かれるのが嫌なんだ。それなら、いっそのこと海にまいてくれた方がマシだと思ったんだよ」

礼子は頑として譲ろうとはせず、有紀がいくら言葉を尽くして説得しても無駄だった。