課長に言われて仕方なく……

次の週末、花見は13時からとのことだったので、理香子は朝からすぐ近くにある美術館で展示を見て、その足で集合場所に向かうことにしていた。

朝の10時過ぎだが、公園はすでに花見客で賑わい始めている。世の中の人たちはみんな花見が好きなんだと、理香子は感心しながら歩いていく。ふと視線を向けた桜の木の下に、見覚えのある顔を見つけた。

「清水くん?」

広げたブルーシートの真ん中で、おそらくビールなどの飲み物が入っているビニール袋に囲まれた清水が体育座りをしていた。理香子は清水に歩み寄った。

「何やってるの?」

「ああ、小林さん、お疲れ様です。早いですね」

「早いですねって、私はちょっと美術館行こうかなって思ったんだけど、そうじゃなくて、清水くんこそ」

「僕は、課長に言われて仕方なく。使えないんだから場所取りくらいやっとけって」

花見の時間まではあと3時間近くある。もう気候は春めいているとはいえ、ここにずっと留まっていれば身体は冷え切ってしまうだろう。

「これは……?」

「買い出しです。これも課長が用意しろって」

「立て替えたの?」

清水は気まずそうに笑ってうなずいた。

1人あたりの予算は3000円で、参加人数は25人前後のはずだから、彼は7万円以上の

お金をたった1人で立て替えていることになる。

理香子は靴を脱ぎ、ビニールシートの上に上がる。

「え?」

「13時まであと何時間あると思ってるの。1人で待つんじゃ退屈でしょ」

「いや、でも、美術館は?」

「美術館はまた今度。いつでも行けるもの」

理香子が言うと、清水は抱えていた膝に口元をうずめる。彼が「ありがとうございます」と言ったのを、理香子は確かに聞いていた。

時間になるとみんなが集まってきて、課長の長々とした乾杯の音頭を合図にようやく花見が始まった。

桜は満開で、青空とコントラストを作るようににひらひらと舞う花びらは確かにきれいだったが、理香子の気持ちはまったく晴れなかったし、穏やかな陽気とは裏腹に身体はすでに冷え切っていた。

「どんどん飲め、どんどん飲め!」

アルコールが入り、いつもに増して大きくなった課長の声が響いた。部下たちに酒を勧めながら、下品な冗談を飛ばし、やたらと自分の武勇伝を語る課長。そのたびに誰かが愛想笑いをし、場を繕うように相槌を打っていた。

「とろ水、お前も飲まんかい! 暗い顔しとるからモテへんのや」

いつの間にか課長の隣に呼びつけられてしまっていた清水は苦笑いしながら、紙コップを持ち上げた。

理香子はため息をつく。何度も確認している時計の針はさっきからたった数分しか進んでいない。

●地獄のような雰囲気の花見が続く。弁解の余地もないほど露骨な課長のパワハラ・セクハラにさらされる清水と理香子だったが、ついに我慢も限界に達し……。後編:【「そんな大げさな…冗談やろ」“ハラスメントの展覧会”な上司に怒ったアラフォー女性がとった行動、そして下された鉄槌】にて詳細をお届けする

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。