静かな夜だった。

落ち着いたリビングの照明の下、木目のローテーブルにふたつ並んだグラス。雅子は琥珀色の液体が入ったその片方を持ち上げて軽く揺らした。いつもの晩酌なら発泡酒1缶で済ませるが、今日は珍しく奮発してウイスキーのロックにした。

「乾杯~」

向かいで、娘の真央が笑顔でグラスを掲げた。ついこの前までランドセルを背負っていたような気がするが、こうしてもうすっかりお酒を楽しめるようになった真央の姿を改めて見ていると、寂しさと嬉しさの混ざる複雑な気持ちが雅子の胸に押し寄せる。

「もう卒業かぁ」

ウイスキーで唇を湿らせた真央が呟く。彼女はこの春に大学を卒業し、県外にある食品メーカーで働くことが決まっている。この家で2人過ごす時間も、もう残り1ヶ月を切った。

「今年はほとんど授業がなかったからね。ゼミのメンバー以外に大学で会うの久しぶりだし、なんか実感わかないなぁって」

「こんなにバイトばっかしてて本当に卒業できるのかって不安だったんだから」

「でもやっと袴着れるのは楽しみ! あと懇親会のドレスも。いっぱい写真とらなきゃ」

自分が選んだ深い緑の袴に、桜模様の振袖を合わせたコーディネートがいかに素敵か、友人たちとどんな風に写真を撮るか——。頬を少し紅潮させながら、真央は楽しそうに語る。

雅子はただ静かに微笑みながら、その様子を見ていた。大学の4年間が、本当に楽しかったんだろう。充実した日々を過ごし、友人にも恵まれ、未来に胸を膨らませている。

それがたまらなく嬉しくもあり、寂しくもある。自分がシングルマザーだからなのか、それとも母親として広く当たり前の感情なのか、その感慨はひとしおだった。
ウイスキーが喉を通り過ぎると、胸の奥にじんわりと心地のよい熱が広がっていく。

あと少し。

あと少しで、この子の手を離すんだ。