娘は合格したのだが……

寒さが和らぎ、春の気配が感じられるころ。

いよいよ結子の運命が決まる日がやってきた。

夏海はリビングのソファに座り、胸の奥でざわつく不安を押し殺しながら、そっと結子の隣に寄り添った。彼女はノートパソコンを膝に乗せ、第1志望の大学の合格発表ページを開こうとしていた。指先がほんのわずかに震えていた。

「深呼吸して、大丈夫だから」

そう声をかけると、結子は小さく、うなずいた。

画面の更新ボタンを押してから数秒の沈黙——いや、実際にはほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。

「……あっ」

結子の小さな声が、張り詰めた空気を震わせた。

画面には、はっきりと、だが思ったよりも無味乾燥に〈合格〉の2文字が表示されていた。

「結子……! 合格……! やったよ!」

思わず声が震えた。結子は何度も瞬きをし、画面を見つめていたが、次の瞬間、ポロポロと涙をこぼした。

「受かった……! お母さん、私、受かったよ!」

「本当に、よく頑張ったね」

「お母さんがたくさん助けてくれたおかげだよ。本当にありがとう」

「結子……」

夏海は思わず娘を強く抱きしめた。涙が頬を伝うのも気にせず、結子の背中をさすった。努力が報われた。必死に頑張ってきた娘が、ついに夢の扉を開いたのだ。

しばらくそうしていたが、ふと、気配を感じて振り向くと、リビングの入り口に立っている信一郎が見えた。

腕を組み、いつもと変わらない表情でこちらを見ていたが、さすがに状況を察したらしく口を開く。

「よかったな。おめでとう」

だが、それだけだった。歓喜に満ちた空間に、彼の言葉は驚くほど静かに響いた。

「それだけ?」

だから夏海は思わず口を挟んでしまった。

「結子、こんなに頑張ったのよ? もっと何か……」

信一郎は一瞬、何か言おうとしたように見えたが、結局それを飲み込んだ。
そして「仕事の準備をする」とだけ言い、寝室に引っ込んでしまった。

夏海は納得がいかなかった。

こんなにも感動的な瞬間なのに、どうしてあんなに淡々としていられるのか。どうして、もっと喜んであげられないのか。子どもの成功は、自分のことのように喜ぶのが普通ではないのか。

「……なんなの、あれ」

信一郎の態度は桜の花の絵の真ん中に落としてしまった墨のように、苦い気分を夏海の胸中に残した。

●結子が入学する日が近づいてくる。同じマンションに住むママ友と井戸端会議に興じていたときだった。夏海は血の気が引くような、事実に気が付く。入学金を払い忘れていたかもしれない……。果たしてどうしなってしまうのか。後編:【「入学金を振り込み忘れたかもしれない…!」妻の致命的なミスを救った、娘の医学部受験に無関心に見えた夫のある行為とは】にて詳細をお届けする。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。