まだ完全に日も昇らない薄暗いうちから、夏海は冷え冷えとした台所に立っていた。
朝食の支度と同時進行で娘のお弁当を完成させなければならない。いつも通り慌ただしい朝の始まりだ。
今日のおかずは、鮭の塩焼きと小松菜のくるみあえ、ブロッコリーとパプリカの炒め物。脳の働きをアップするカルシウムやレシチン、DHAが豊富に含まれているメニューだった。
夫の信一郎がスーツ姿で寝室から出てきたのでリビングの時計を見ると、いつの間にか7時を過ぎている。夏海は寝室に向かって声をかけた。
「結子、もう起きてるんでしょ?」
「うん……」
すると、かすれた返事が聞こえた。また夜遅くまで勉強していたのだろう。
高校3年生の結子は医学部を目指す受験生。受験本番のスタートとなる共通テストまでは残り1か月を切っている。わざわざ「ちゃんと勉強してるの?」なんて聞かなくても、眠気をこらえながら机に向かう姿が、目に浮かぶようだった。
夏海は出来上がったおかずをお弁当箱に詰めていく。信一郎はいつも通り、朝刊を広げながらコーヒーを飲んでいる。まるで、我が家の忙しさとは無関係であるかのように。
「結子、今日の冬期講習もいつもの小教室なんでしょ? ちゃんとマスクして、小まめに水分補給するのよ? 予備のカイロも入れておいたから、寒かったら使いなさいね」
制服の襟を整えながら自室から出てきた結子は、やはりまだ少し眠たそうな顔をしていた。
「うん……ありがとう、お母さん」
弁当箱を受け取る手が冷たい。勉強ばかりで、あまり寝ていないのが分かった。
「ちょっと顔色悪いんじゃない? ある程度寝ないと免疫力が回復しないわよ。ここからは体調管理が大事なんだから、気をつけないと」
心配そうにのぞき込むと、結子は小さく笑った。
「ちゃんと寝てるよ。大丈夫」
そう言いながらも、彼女の顔には疲労の色が滲んでいた。
夏海は少しでも力になりたくて、彼女の肩をそっと叩いて言った。
「頑張ってね。今日は帰りに駅まで迎えに行くから」
「うん、ありがとう」
そのとき、信一郎の視線が一瞬こちらを向いた。だが、すぐに新聞へと目を落としてしまう。また何も言わない。夏海は胸の奥に小さな苛立ちを覚えた。