あなた、私やったわ
文学賞の応募締切が近づくにつれ、冬美はますます机に向かう時間が増えた。
大学の講義が終わると、家に帰り、テレビ電話で家族との会話を楽しんだ後で、真新しいノートパソコンを開いた。
長時間机に向かって作業していると、肩や腰が悲鳴を上げ、心が折れそうになることもあった。それでも書き続けることができた原動力は自分でもよく分からない。文字通り、何かに憑依されたかのように、冬美は夢中でパソコンに向かい続けた。
なんとか作品を書き終えた日は、肩の力がふっと抜けたようだった。
最後の一行を書き入れたとき、心の中に何とも言えない満足感が広がった。もう結果なんてどうでもよかった。夢中になって書き上げた。この事実だけで、すでに挑戦して良かったと思った。
「あなた、私やったわ」
夫の遺影に向かって微笑みながらそう呟いた。
「私、小説を書いたのよ。それでね、また書こうと思うの。年甲斐もなく、新しい趣味にはまっちゃったわ」
遺影の中の夫は相変わらず何も言わない。
ただ静かに見つめるだけだった。でも、その厳格な表情は「よくやった」と言っているように思えた。
「次は、恋愛ものを書きたいと言ったら、あなたは嫉妬するかしらね」
堅物な夫が自分が書いた恋愛小説を読むところを想像して、冬美は声を立てて笑った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。