<前編のあらすじ>
夫に先立たれ、娘たちはすでに巣立ち、静かになった家で一人暮らす冬美は言いようのない虚しさにさいなまれていた。
そんなおり、長女の真由子がやってきた。「顔を見に来たという」真由子は母・冬美の窮状をそれとなく察する。他愛もない会話を交わす中で、ふと真由子は冬美に問いかける。
「なにか、楽しいことある?」
娘の言葉に揺り動かされた冬美は、自分のこれまでの人生に思いをはせるのだった……。
前編:「また、何もしない一日が終わったわね」夫を亡くし、一人、家で暮らす女性を変えた娘の一言
私が大学に?
夕方、いつものように窓の外を眺めていたとき、電話の音が静寂を破った。リビングのテーブルに置いた受話器を手に取ると、次女の奈津美の明るい声が聞こえてきた。
「お母さん、元気にしてる?」
奈津美からの突然の電話に驚いた。県外に住んでいて仕事も忙しく、会いに来ることは盆と正月くらいの奈津美が平日のこんな時間にかけてくるのは珍しいことだった。
「まあ、ぼちぼちよ。どうしたの、急に?」
冬美がそう問い返すと、彼女は少し躊躇するような声で続けた。
「この前、お姉ちゃんから連絡があってさ……お母さん、最近元気がないんじゃないかって。それで、ちょっと心配になっちゃってね」
「そんなことないよ。ただ、ちょっと暇なだけ。気にするほどのことじゃないわ」
「お母さん、本当にそう思ってる?」
「え、ええ……」
対面しているわけでもないのに、冬美は思わず目をそらしてしまう。
すると、ふと古い本棚が目に入った。最近は手に取ることがなくなっていたが、そこには冬美が少しずつ買い集めて読んでいた小説が並んでいる。昔はよく読んだものだが、最近は老眼もひどくなり、手に取ることもなくなった本たち。
「私もお姉ちゃんも、お母さんにもっと自分の人生を楽しんでほしいって思ってるの」
電話越しの奈津美の声には、本気で心配している気持ちが滲んでいた。その優しさに触れ、冬美は思わず心の奥にしまい込んでいた感情を吐き出していた。
「……昔はね、私、本当に勉強が好きだったのよ」
言葉にすると、胸の奥が熱くなった。若いころ、どれだけ学ぶことが楽しかったか。教科書を広げて机に向かい、ノートに書き込む時間がどれだけ充実していたか。
「でも、私が本ばかり読んでいると両親は良い顔をしなかった。女は家を守るものだって言われてね。だから、もう勉強なんて考えちゃいけないんだって……」
電話の向こうで黙って聞いていた奈津美が、ふと明るい声で言った。
「ねえ、お母さん。なら、大学に行ってみれば?」
「えっ、私が大学に?」