まだ薄暗い部屋の中で、冬美はゆっくりと布団から身を起こした。毎朝5時きっかりに朝食を食べる夫がいなくなってからというもの、起床時間は少しずつ遅くなっていた。

時間に縛られない日々は、まるでどこまでも続く無音の海のようだ。波の音ひとつ聞こえない静寂が、冬美を覆い尽くしているのだ。

居間へ降りると、夫が愛用していた座布団がぽつんと畳の上に残されている。片付けるべきだと思うけれど、どうしても手が伸びない。まだ夫がそこにいるような気がしてしまうのだ。

いつものように台所でお湯を沸かし、紅茶を淹れる冬美だったが、本当は味なんて覚えていない。ぼんやりと湯気が上がるカップを見つめるだけで、時間が過ぎていく。朝のニュース番組をつけても、内容が頭に入ってこなかった。ただ音が流れていくだけ。気づけば、視線はいつもと同じ場所に落ちていた。

仏壇の前に置かれた夫の写真。

相変わらずの仏頂面だが、その険しい顔が今の冬美には懐かしかった。無意識に、彼に話しかけてしまう。

「あなた、今日は天気がいいみたいよ」

もちろん返事なんてない。

だけど言葉に出すだけで、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる気がした。

午後になると、外から子どもたちの元気な声が聞こえてくる。近くの小学校から帰宅する子どもたちが笑いながら走っているのが縁側から見えた。彼らの楽しそうなその姿を目にすると、本を読むのが大好きだった子どものころを思い出す。

だがそれもずっと昔の話だ。長年連れ添った夫を亡くし、娘たちとも離れて暮らす今の冬美は、ただ静かに部屋の隅でじっとしているだけ。

いつからこうなってしまったのだろう。家族のために、と生きてきたつもりだが、こんなふうに1人になる日が来るなんて、夢にも思わなかった。