こんな俺を支えてくれてありがとう

洋史の病気が発覚したのは、彼が30代半ばに差し掛かったころ。

過度の疲労感や筋力の低下を感じ始めた洋史が病院で診断を受けた結果、国指定の難病だと分かったのだ。現時点で効果的な治療法はなく、症状は徐々に進行していく。そして最後には、呼吸や心肺機能までも低下してしまう。診察室で洋史と一緒に医師の言葉を聞きながら、夏海は頭の中が真っ白になるのを感じた。

「夏海、まだ時間はあるよ。そう悲観することない」

「うん、そうだよね……」

洋史は明るく言ったが、夏海はその声に隠された不安を感じ取っていた。

医師の説明通り、洋史の体は次第に自由に動かなくなっていった。

診断後間もなく通勤が難しくなり、やがて自力での歩行も辛くなった。職場を辞め、入院せざるを得なくなった洋史に代わり、夏海は可能な限りパートを増やした。

しかし、いくら愛する人のためとはいえ、日常が失われていくことは辛かった。
洋史の体調が悪化するたびに、月に何度も病院に駆け込むこともあった。食事も、飲み込みやすいように工夫を重ねたが、それでも時折むせることがあり、そのたびに夏海の胸は締め付けられるようだった。

それでも、洋史が感謝の言葉を忘れないことが、夏海を支えた。

「今日のご飯も、すごく美味しいよ」

「洗髪ありがとう、すっきりした」

「こんな俺を支えてくれて、ありがとう」

指先や顔の筋肉が動かせなくなってからも、洋史は目の動きでテキスト入力ができる機械を使って、精一杯夏海とコミュニケーションを図ろうとしていた。

そんな洋史が息を引き取ったのは、病名を宣告されてから実に8年目のことだった。

最期は一緒に暮らした家で、という希望があったため、洋史は自宅の介護用ベッドの上で静かに亡くなった。

最期の瞬間、彼は力を振り絞るようにして一言「ありがとう」とメッセージを残した。

「私の方こそありがとうだよ、洋ちゃん……」

彼の死は、まるで自らの半身を失ったような痛みと喪失感をもたらしたが、それでも夏海は最期まで前向きに病気と闘った洋史を誇りに思い、彼を送り出す準備を進めた。

それが今の自分が洋史にしてやれる唯一のことだと思ったからだ。

●葬儀を執り行うと長年疎遠だったはずの洋史の家族たちが前触れもなくやってくる。彼らが夏海に突きつけたのはあまりに非情な要求だった。後編【「内縁の妻には何も残さない」難病の夫を見捨てた義家族の理不尽な要求から事実婚の妻を守った「亡き夫の愛」】にて詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。