作品への侮辱は許さない

「……ただいま」

「おう、おかえり」

「掃除とゴミ、ありがとね」

「ああ、いいよ。無職の俺にはそれくらいしかやることないからな」

あれから2カ月、卓志は連載を終えていた。

「忙しそうだな」

「うん、さすがにしんどいね」

「さすが、売れっ子は違うな」

へへっと笑う卑屈な顔に、無性に腹が立った。それでも千尋にはけんかをする暇も体力も残っていない。争いは心身のほどよい余裕があって始めて起きるんだな、と心のなかにメモをする。

「そんな大層なものじゃないわ」

「TikTokでバズったからって、そんなにもてはやさなくてもな」

卓志は無精ひげを蓄えた頰をなでて、ソファから身体を起こした。

「TikTokで紹介される前は人気のある作品ってわけじゃなかったんだ。TikTokで紹介されたって、中身が変わったわけじゃないのに、よくあそこまで称賛できるよな」

「まあね。……でも卓志だってよく言ってるじゃない。まず見つけてもらうのが大変なんだって」

「ま、今はいいけどよ。流行とかトレンドとか、世間って言うのはそういうものに過剰に反応しすぎだよ。珍しいだけの作品じゃ、すぐに飽きられておしまいだ。だからお前もあんまり浮かれ気分でいるんじゃねえよ。メッキなんてすぐに剝がれるんだから」

千尋は卓志をにらんだ。胃の奥のほうが、ふつふつと煮えるのを感じた。

浮かれてなどなかった。そんな暇があるわけがないし、むしろ重版だドラマ化だノベライズだと急に舞い込んだうれしいはずの話のどれひとつとして、確かな実感も手応えも持てずにいた。だがそれ以上に腹が立ったのは、自分が実力以上の評価を得ていると卓志が言っているように聞こえたことだった。

『里見葬儀社でまたあした』は確かに葬儀屋というテーマとコミカルな作風のミスマッチが取り上げられ、注目を浴びることが多い。だがコミカルなタッチのなかにも、人と人との別れや、老老介護、ヤングケアラー、尊厳死など、たくさんのテーマを真剣に盛り込んだ作品でもある。それを、一過性のはやりで水物みたいに言われたことは侮辱も同然だった。

「だったら、あなたもSNSでバズって、ちゃんと売れる作品描けばいいんじゃない?」

語気に思わず力がこもった。眉をひそめた卓志が舌打ちをする。

「……知ってるだろ。俺はそういうこびた作品は描かねえ。バカでも楽しめるような大衆向け作品なんて描く気にもならないね。分かるヤツにだけ伝わる作品が描きたいんだ」

「……あんたの作品にそんなファン、今までいないでしょ?」

卓志はほんの一瞬固まり、眉間に深い皺(しわ)を刻んだ。

「何だと……?」

「ファンがいないからあっさり打ち切られて、いま無職なんでしょ? 分かる人にだけ伝わる作品? 笑わせないでよ。そもそも読者がいなきゃ、誰にも伝わんないから!」

あとは売り言葉に買い言葉。出会って以来、経験したことのない大げんかをした。卓志の投げたスマホが壁をへこませた。千尋が振り回したかばんが机の上の書類の山を崩し、倒した花瓶を粉々に割った。

「出てけよ!」

「もちろん出てくわよ!」

お互いに喉を裂くように叫んだ。千尋は家を飛び出した。もう春も終わるというのに、夜の空気は少し冷たい気がした。

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※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。