愛実は壁にかかる時計を確認した。17歳になる娘の優海は予備校に通っているからいなかった。切り出すなら、このタイミングしかないと思った。

「実はご近所さんがね、お義母(かあ)さんを見かけたらしいの」

真剣な声音で言ったつもりだったが、夫の武敏はハンバーグを頰張りながら開いた夕刊を眺めていた。

「ふうん、どこで?」

「それがパチンコ屋なんだって」

「パチンコぉ?」

武敏はすっとんきょうな声を出して顔を上げた。

「そうなの。何回も見たから、見間違いじゃないって」

「母さんが、パチンコ……。想像できないけどなぁ」

武敏は腕組みをして、難しい顔をしている。

義両親は愛実たちが住んでいるマンションから徒歩で行ける戸建てで暮らしている。近いこともあり、3カ月前に義父が病気で息を引き取るまでは、愛実たちも介護を手伝った。

とはいえ、義父の闘病を支えたのは間違いなく義母の幸子で、夫を亡くしたことで意気消沈してしまわないかと気にかけていたときに耳にしたのが、パチンコ屋に通っているといううわさだった。

「どうする? 何か言ったほうがいいかな?」

「いや、ひとまずはいいだろ。好きにさせてやろうよ。母さんは昔からしっかりしてるし。父さんが死んで、その心の隙間を埋める楽しい事が見つかったなら、別に良くないか?」

「……うん。あなたがそう言うなら、それでいいと思うけど…」

夫の言うことも一理ある。愛実はそう思って、忘れることにした。

義母から金の無心が…

しかしその後まもなく、幸子のギャンブルはちょっとした趣味の域を超え始める。

「どうかしたの?」

夜、寝室に入ってきた武敏に愛実は尋ねる。武敏のやけに気落ちしたような顔が気になった。

「母さんだ。なんかお金を貸してくれって言われてさ……」

「……何のお金?」

そう尋ねながら、愛実の脳裏にはパチンコ屋に出入りする幸子の姿が思い浮かんだ。

「教えてくれなかった。とにかく金を貸してくれとしか言わなくてさ」

「それで、どうしたの?」

「取りあえず3万を振り込むことにしたよ」

3万が大金かどうかは人による。しかし愛実はお金を渡したという事実に不安を覚えた。

「大丈夫なの? ちょっとでもお金を渡したら、そこでタガが外れるって聞いたことあるよ」

武敏は大きなため息をついて、ベッドに座った。

「それは知ってるけどさ、俺も断れないじゃん。母さんにはいろいろと世話になったし。父さんの看病を頑張ってるのも見てたからさ」

武敏の気持ちはもちろん分かる。しかし愛実たちにも事情がある。

「来年には優海が大学生だからね。学費のこととかを考えると、そんなポンポンお金貸せるわけじゃないよ?」

「ああ、分かってる。これが最初で最後だからさ」

愛実は武敏の言葉にうなずいた。しかし心のどこかで、これで終わるのだろうかと疑っている自分もいた。