夫に意見を求めた友梨佳

夕食の片付けを終えたあと、リビングのソファに座った友梨佳は、マグカップを両手に包みながら思わずため息を吐いた。夫は見ていたテレビから、友梨佳のほうへと顔を向けた。

「珍しいね、どうしたの?」

「うん……ほら最近新しく入った子がいるって前に言ったでしょ。あの子、定時で帰るのが基本の子でね。昨日、見積り整理を“今日中に”ってお願いしてたんだけど、仕事を残したまま、引継ぎもせずに帰っちゃって。今朝ちょっと指摘したら、“辞めたい”って言われたの」

「……そっか」

「彼女、前職では相当無理してたみたい。ライフバランス重視で、うちに来たって。でも現場は、そんなに整ってないし。人もギリギリで、急ぎ案件が飛び込むたびに、誰かがカバーする仕組みになってる。正直辞められるのは困る。でも、このご時世じゃあんまり強く言えないし」

しばらく沈黙が落ちたあと、夫がカップを置きながら言った。

「まあ、最近の子ってそうだよね。うちの会社も少し前まで、似たような感じだったよ。みんなが残業してるのに、若手が毎日定時で帰ってて、結構文句も出てた」

「ほんとにおんなじだ」

「うん。で、当時、俺が課のリーダーだったんだけどね。ある日、提案したんだ。残業前提のやり方じゃなくて、終業までに終わる設計に変えようって。最初は反発もあったけど、根本を変えた」

「どうやって?」

友梨佳は眉をひそめる。

「業務を全部棚卸ししたんだよ。会議、資料、承認ルート。無意味な作業や形式をそぎ落として、“一日の中で終わる仕事”に組み替えていった。俺が言い出しっぺだったから、俺の残業は嵩んだけどね」

夫が冗談っぽく笑って肩を竦め、しばらく沈黙が落ちたあと、友梨佳は独り言のようにつぶやいた。

「……人を変えるより、仕組みを変えた方が早いってことか」

「人を責めたら、辞めていくだけだしね。でも仕組みを変えたら皆も成長する。そのときの新人も今や、チームの中心だよ」

リビングの静けさに、マグカップの置かれる音が響いた。友梨佳の指先が、無意識にタブレットへと伸びる。

「……なるほどね。ちょっと、考えてみる」

「うん、やってみなよ。部下を育てる方法は、指導だけじゃない。業務を行う仕組みそのものなんだよ」

夫の言葉が、意外なほど胸に沁みた。

友梨佳はゆっくりと息を吐き、タスク管理アプリを開いた。そこには、まだ手付かずのまっさらな時間が横たわっていた。

●定時退社を求める新人に対して、その皺寄せが他の社員に及んでいく職場。50代管理職の友梨佳は、夫のアドバイスも借りて、人ではなく「仕組み」を変える決断をしたのだった…… 後編【定時で帰る新人vs残業する部下…対立を生んだ職場で仕組みを変えて可視化された「残業が減らない本当の理由」】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。