村尾は1時間以上、パソコンをにらんでいた。3カ月後に締め切りの文芸新人賞に送る原稿を書いているのだが、ぴたりと手が止まってしまった。
新卒で食品メーカーに就職をしてから諦めていた小説家の夢を、3年前、再び追いかけ始めたのだ。だが3年たった今も、まだ作品は完成していない。これという、天から降ってくるようなアイデアが思いつかないのだ。
村尾は気分を変えるためにデスクから立ち上がった。リビングのソファに寝転び、マッチングアプリで好みの女性をザッピングし始める。最初はおっかなびっくり使っていたアプリだが、今では当たり前のようにどんどん女性たちを吟味することができるようになった。
今年で41歳になった村尾は、これまでまったく結婚に興味を抱いてこなかった。仕事をして、家に帰って自分の好きなことをする。お金や時間を自由自在に使うことができる。それだけで十分だと思っていたのだ。
しかし、半年前に田舎に住んでいる母親が軽度ではあるが肺炎を患った。今は治療を終えて元気にしているが、母はもうすぐ70歳になることもあって楽観視はできないと思った。
「結婚でもしてくれたらねぇ」
ベッドで横になったまま、冗談めかしてぼやく母の言葉がよみがえる。マッチングアプリをダウンロードしたのは、母の見舞いを終えて、家に戻ってきてからだった。それからは毎日、好みの女性を見つけてはハートを送りまくっている。そうして、いつの日か母に結婚の報告ができればいいなと思っていた。
村尾自身、それなりの大手で働いていて収入も安定している。そういう自分はすぐに結婚相手なんて見つかると思っていた。しかし半年たった今、進行状況は芳しくない。メールや電話での連絡をできるようになるのは簡単で、直接会ってデートをすることも何回かあった。だが、どれも恋愛成就までは発展しない。途中で、連絡が取れなくなってしまうのだ。
また1人、デートの約束を取り付けようとしたところで返信がなくなった。村尾はため息をつき、相手をブロックした。