朝の光がカーテンの隙間から差し込み、寝室の中を微かに照らしていた。携帯のアラームで目を覚ました茂樹は、冷え切った部屋の空気から身を守るようにほとんど本能で布団を手繰り寄せかけ、それでも気持ちに鞭を打って起き上がる。

もう少し寝ていたかったが、そんな時間はない。枕元のスマホを手に取ると、スケジュールアプリを確認した。

午前中に間借りしているサロンでカットの予約があり、午後は撮影現場でのスタイリング。夜にはもう1件、以前勤めていたサロンの常連客の依頼が入っていた。

フリーになって7ヶ月。最初は正直、不安しかなかった。固定給のない生活、顧客の確保、スケジュール管理――。懸念要素は考え出せばキリがない。だが昔の職場の仲間や知り合いが仕事を紹介してくれたおかげで、順調に軌道に乗っている。

着替えてリビングに行くと、妻の依子がすでにキッチンにいた。コーヒーの香りが部屋に広がり、思わず深く息を吸い込んだ。

「早いね」

茂樹が声をかけると、依子はちらりとこちらを見た。

「あなたこそ。今日も忙しいみたいね」

「まあね。でも、仕事があるのはありがたいことだよ」

「全然休んでないじゃない。大丈夫?」

茂樹は差し出されたコーヒーを口に含む。カフェインが頭にめぐる感覚があり、目が冴える。

「大丈夫。むしろ、前の職場のときより稼げてるし、現場は刺激的だし楽しいよ」

「ならいいんだけど……」

「何?」

「別に。あなたが楽しそうなら、それでいいの」

会社員の彼女にとって、茂樹のように安定しない働き方は理解しにくいのかもしれない。まして、茂樹はまだフリーランスとしては駆け出しだ。今は順調かもしれないが、40代の今から10年、20年とキャリアを積んでいけるかは、ひとつひとつの目の前の仕事にかかっている。

「大丈夫。何も心配いらないよ」

「……そう」

依子は控えめに笑い返してから、トーストにジャムを塗り始めた。

こういう何気ない朝の時間が、茂樹は好きだった。

お互い40代だが、夫婦の間に子どもはいない。というより作らないと決めている。財布は別々で、生活費は折半。いずれも結婚前に2人で話し合って決めたことだ。

自分を尊重してくれる依子の姿勢や踏み込み過ぎない距離感が心地よく、茂樹は今の生活を気に入っている。

壁の時計が出発の時間を告げた。茂樹はカップを流しに置き、コートを羽織った。

「行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」

依子の声に背中を押されながら、茂樹は玄関のドアを開けた。マンションの廊下を満たすひんやりとした空気が、頬にちくりと刺さる。