静かな別れの時間

長い長い沈黙のなかで、静雄がわずかに喉を鳴らした。細く、掠れた声が空気をかすめる。

「……すまん」

恵は微動だにせず、その事実だけを受け止めた。頷くでもなく、拒絶でもなく。こぼれた言葉はシンプルだった。

「お母さんにも謝るんだよ」

「ああ」

それきり、父の反応はなかった。

閉じられたまぶたがわずかに揺れた後、呼吸は少しずつ浅くなり、数える間隔が長くなる。

胸元の上下が緩やかになっていく。管を伝っていた酸素が、もはやどこにも届いていないことを示すように、モニターの数字が0になった。

間延びした、耳鳴りのような音。

機械の光だけが、点滅を保ったまま、動きをやめた身体を照らしていた。恵は立ち上がると、首が真っ直ぐになるように枕の位置を整えてやった。

「これ、病室でも見れるようにしてもらおうと思ってたのに」

バッグを開け、布袋からテープを一つ取り出す。ラベルには「運動会」とだけ記されていた。角がすり減り、プラスチックの縁が少し曇っている。

あの部屋の、唯一きちんと揃えられていた場所に、長く立っていた1本。恵はそれを、枕元のシーツの上にそっと置いた。白い布のうえで、黒いカセットが微かに傾く。

手を離すと、そのまま静かに落ち着いた。

「ちょっと待ってね、先生呼んでくるから」

部屋を出る前に、一度だけ振り返る。廊下に出ると、空気がわずかに冷たかった。誰もいない夕方の廊下で、自販機だけが低く唸り声を上げていた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。