介護費用に消えてゆくパート代
ひかりの父は何十年も前から鬼籍に入っており、数年前には最愛の夫にも先立たれた。兄弟も子供もいないひかりにとって、家族といえば、今や認知症の母1人だけだった。
だから頑張らなければいけないと思った。この世界でたった1人の肉親である自分が母を支えなければいけなかった。
だが介護は一筋縄ではいかない。物理的にも精神的にもひかりたち母娘の支えとなる存在はおらず、経済的にも厳しい状況が続く。浮上の見込みはなく、毎日をただしのぐだけで報われることもない。
事故で亡くなった夫は、少しばかりの保険金を残してくれたものの、それも日々の生活費や母の介護費用でほとんど使い果たしている。今は、スーパーのパート収入が生活の唯一の柱となっているが、それも母と2人分の生活を賄うには十分ではない。
訪問介護サービスの利用費や、母の医療費、介護用具の購入など、介護に関わる支出は月々8万円ほど。それに対してひかりのパート月給は、手取り10万ちょっと。
将来の蓄えなど夢のまた夢だった。
そんなひかり自身も、もう55歳。パートの仕事も体力的に限界が近づいているが、仕事を辞めるわけにもいかない。このままでは自分が倒れてしまうのではないかという不安が常に頭をよぎるが、老人ホームの費用を捻出できるはずがない。
施設への入居費用だけでなく、毎月の維持費も相当な額になることを考えると、今の生活ではとても手が届かない選択肢だった。
今のところ家計のやりくりに苦労しながらも何とか日々を過ごしているが、確実にすり減っていく貯金は時限爆弾のようにひかりの心をざわつかせ続ける。訪問介護士には生活保護を進められているが、気が進まない。生活保護を受給すると、医療費は保険診療の範囲内なら自己負担はほぼなくなるし、さらに介護扶助が適用されるとかなり生活が楽になると熱弁されたが、どうしても恥ずかしいことだという気持ちがぬぐえず、首を縦に振ることはできなかった。
夕食の片付けをして、風呂で1日の汗を流し、布団に入る。眠りかけたところで母の怒鳴る声がして、ひかりは体を起こす。
すでに日付は変わっていた。
吐きかけたため息をのみ込んで、ひかりは母のもとへ向かった。
●母のこと、家計のこと、悩みはつきないひかり。だが、ある秋の日に奇跡が起こった……。 後編【「1匹のサンマも買えなかった」貧困にあえぐ50代娘が、要介護の実母のために下した「大きな決断」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。