車窓から見える景色もそこそこに、優太はボックスシートにからだを沈めて目を閉じた。穏やかな車内に響く走行音。シート越しにからだに伝わる振動。線路と車輪が嚙み合い、ひたすらに前へ前へと進んでいく頼もしさ。そのひとつひとつが優太の心を高揚させていた。

旅の目的は鉄道撮影。優太は、いわゆる“撮り鉄”だった。

今回のお目当ては、全国屈指の秘境路線であるJR只見線の車両。福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶJR只見線は、秋になると紅葉に染まった山々が列車を包み込み、幻想的な美しさを作り出すことで知られている。鉄道好きとしては、その風光明媚(めいび)な光景をなんとしてもカメラに収めなければいけないと、前々から思っていた。

まぶたの裏側で、赤く染まった山あいを走る只見線を思い浮かべる。きっとこの目でじかに見る光景は、これまでに見てきた他の人の撮影した写真や、自分の想像なんてはるかに超える美しさに違いない。

――ガシャン

ふいに大きな音がして優太の想像はかき消えた。代わりに鋭い怒鳴り声が頭のなかで暴れまわり、陰湿な舌打ちが背筋をなでた。心臓が早鐘を打ち、全身から汗が噴き出していた。一拍遅れて子どもの泣き声が車内に響く。その子どもをあやす母親らしき女性の声も聞こえる。

大丈夫、大丈夫だ。心のなかでそう繰り返し言い聞かせたものの、汗も脈もなかなか収まってはくれなかった。

最近まで働いていた中堅の電子部品メーカーを退職したのは先月末のこと。いや、正しくは、退職に追い込まれたと言ったほうがいいのかもしれない。優太は営業二課で、主に白物家電の部品営業を担当していた。目ざましい成果をあげているわけではなかったが、堅実かつ丁寧に仕事をこなしていたと自分では思っている。社内外の人間関係も、給料などの待遇にも不満はなく、会社がつぶれない限りはこのまま定年まで勤めあげるのだろうと、そんなことを漠然と考えていた。

しかし半年前、地方支社から異動してきた新しい課長によって事態は一変した。きっかけは、優太が想像するに、業務後の飲み会や土日のゴルフを断り続けたことだったと思う。家に帰ってYouTubeを眺めたり、鉄道模型を組み立てたりするために、仕事は仕事として、はっきりとした線引きをして業務にあたっていた。

しかし、そんな態度が気に食わなかったのだろう。課長はささいなミスを見つけてきては優太をしかり、大勢の前で怒鳴りつけた。これまで懇意にしていた取引先は、後輩育成の名目で担当から外され、無理難題な新規営業ばかりを押し付けられた。会議では優太が意見を述べるたびに「浅いね」の一言で一蹴され、自尊心をそがれていく日々が続いた。

課内の同僚たちに相談しようにも、逆らえば次は自分かもしれないという恐怖は、結果として優太を孤立させた。職場にいるだけで強いストレスを感じるようになり、会社に出勤することができなくなった。優太の悲惨な状況は、休職とともに社内に広く知れ渡ることになり、課長のパワハラは大きな問題になった。

だが、課長が降格処分になり、会社のコンプライアンスがいくら改善されようとも、心に負った傷は取り返しがつかない。

優太は大きな物音を聞くと課長の怒鳴り声がフラッシュバックし、胸の奥を踏みつけられるような苦しさに襲われるし、スーツを着ようとネクタイを締めると激しい吐き気を催すようになっていた。ひどい時は、コンビニやすれ違う通行人すら、敵であるように感じられて、外に出ることすらできなくなった。

これ以上この会社で働き続けるのは限界だと悟った優太は、思い切って会社を辞めた。2カ月ほど通院しながら自宅で療養し、ようやく気分が上向きになってきたところで思い立ったのが、鈍行を乗り継ぐ鉄道旅だった。