義母の胃袋をつかんだ

2週間後、茉莉と憲也は美也子を自宅に招くことにした。憲也が美也子を車で迎えに行き、その間、茉莉は美也子をもてなす準備を整える。チャイムが鳴り、出迎えに行くと、不機嫌そうな美也子がずかずかと入ってくる。

「お久しぶりです。お待ちしておりました」

「憲也がどうしてもって言うから来てあげたけどね、私の気持ちは変わらないよ」

「いえ、今日はそういうのじゃありませんから」

髪を黒く染め直した茉莉は笑顔で応える。そう言って少しでも美也子の警戒心を解こうとした。

「何にもないじゃない」

室内を見渡した美也子がしげしげと口を開く。

「ええ、あまりものを置くのが好きじゃなくて」

「生活感がないけど、ほんとにこんなところに住んでるの? なんだか落ち着かないわね」

うんざりしている憲也を横目に、茉莉は美也子をテーブルへと案内した。

「さっそくですけど、お昼まだですよね? パスタを作ったんで食べてみてください」

そう言って、茉莉は美也子の前にパスタを置いた。今回作ったのは和風の冷製パスタ。口を曲げていた美也子だが、おなかをすかせていたのか、渋々フォークを使ってパスタを口に運んだ。

1度、ピタリと止まったかと思うと、また2口目に入る。その様子を見て、美也子と憲也は目を合わせる。憲也は得意げな顔をして笑った。

パスタが好きだというのは憲也から聞いていた。さらに脂っこいものは苦手だろうと思って、和風のさっぱりとした味付けにしたのも功を奏したようだ。

「どう? うまいだろ? 茉莉って料理がメチャクチャ上手なんだよ」

「……まあ、そうなのかもね」

「スゴいだろ? 母さんが好きな日本酒もあるから」

「ご機嫌取りしようったって無駄よ」

そう言って憲也がコップに酒を注いだ。茉莉はそのタイミングを見計らって、あらかじめ用意しておいた酒のあてをテーブルに並べた。ホタテのカルパッチョ、ナスのおひたし、クリームチーズとアボカドをあえたもの、さらにズッキーニの漬物など思いつく限り茉莉は作っておいたのだ。

「これ、全部、手作り?」

「ええ、そうです。日本酒にはこれが合うかなと思いまして」

そこから美也子は酒を飲みながら、ちびちびとあてを食べる。決して感想は言ってくれないが、それでも酒と箸が進んでいく。やがて顔を赤くした美也子がどん、とおちょこをテーブルに置いた。

「だいたいね、どうして、私のほうが年が近いような年食った女と憲也が結婚しなきゃなんないのさ」

美也子が声を荒らげた。こないだのような冷たい印象とは打って変わって、ただ酔っぱらっているのだと分かる。身を乗り出して反論しようとした憲也を、茉莉は目線で制した。

「分かります。不安ですよね。私もお義母(かあ)さんを安心させてあげられないのが、心苦しくて。……このズッキーニもぜひ食べてみてください」

「ああ、うん。おいしい。これなあに、何ていうの?」

「ズッキーニの漬物です。辛口の日本酒にぴったりなんですよ」

「はぁーっ、あんたは料理の天才だね。料理人なの?」

「いえ、私は洋服屋で店長をしてます」

「へぇ~じゃあこんなのどこで習ったのよ? 」

「うちの父がお酒が大好きだったんですよ。母が病気で早くに亡くなったのもあって、学生のころ、疲れて帰ってきた父に作ってたりしたら、身につきました」

「あらまあ、それは孝行娘だねぇ。お父さんもうれしかっただろうに。それに苦労したんだねぇ。立派だよ、今じゃ店長さんなんだから」

「いえいえ、とんでもないです」

茉莉は美也子の隣りへ移動し、空になったおちょこに手酌をする。美也子はいい飲みっぷりで一気におちょこの中身をあおる。

「おいしいねぇ。憲也はあんまり飲めないからね、普段つまんないんじゃないの?」

「そうですね~、晩酌すると、憲也さんはいつも先に寝ちゃいます」

「だらしない。そうだ。これからは私、私を呼びなさい。付き合ってあげるから」

「え、いいんですか? 毎日呼んじゃいますよ?」

「毎日だって、こんなおいしいあてが食べられるんだったら幸せもんだよ」

心配そうに茉莉たちを見ていた憲也は思わず笑みをこぼしていた。まさかお義母(かあ)さんの胃袋をつかむことになるとは思っていなかったが、想像以上の効果に、茉莉も心のなかで小さくガッツボーズをする。

「この前は悪かったよ。茉莉さんのこと、よく知りもしないくせに悪く言ったりして」

「いいんです。憲也さんのことを思ったら、当然です。でも安心してください。2人でお義母(かあ)さんに負けないくらい、いい家庭を作ります」

茉莉は思わず泣きそうになって上を向く。

まだスタートラインだ。それでも前進したことに変わりはない。美也子とうまくやっていけるかもしれないという希望が、身体の奥底から湧いてきて茉莉を勇気づけた。

「料理じゃあもうすでに私なんか足元にも及ばないね。私ってば料理が苦手なんだよ」

「母さんの作ったトンカツとかひどかったよな。箸でつかむと、衣が全部はがれるんだよ」

「うるさいね。その私の料理で育ったんだからね、あんたは」

「トンカツって難しいですよね。むしろ私は揚げ物あんまり得意じゃないので、お義母(かあ)さんに教えてほしいくらいです」

「ダメダメ。衣がはがれるんだから、ありゃトンカツじゃなくてただの“トン”だね」

大声で笑う美也子に釣られて、茉莉も憲也も笑った。もうその表情にはこの前向けられたような冷たさは存在せず、3人で囲んだテーブルに重苦しい空気も存在しなかった。

まだ憲也との結婚に、納得してくれたわけではないだろう。しかしお酒がほだしてくれた美也子の態度に、茉莉は未来に向けた確かな希望を感じていた。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。