隆は背中を丸めて夜の街を歩く。ジャケットのポケットで震えたスマートフォンを取り出す。届いたメールを確認すると、もうすっかり見慣れてしまった“お祈りメール”のテンプレが並んでいる。

まさか50歳にもなってこんな惨めな思いをするとは思わなかった。この世界に必要ないと言われているような気分になる。

明日も面接だった。早く家に帰ろうと足早に歩いていると、大きな笑い声が聞こえてきた。声のする方向を見ると、ちょうど居酒屋からスーツ姿の男女が出てきたところだった。

ガラス張りの店内では、店員たちがあわただしく動き回り、元気よく仕事をしている。もうコロナの流行で閑散としていた時期の影は跡形もなく、誰もかれもあの日々を忘れてしまったかのようにさえ思える。

懐かしい光景に、もう自分の手からこぼれていってしまった光景に目を細める。3年前まで、隆は居酒屋で店長をしていた。

転職で飲食業界へ

隆はビールジョッキを持って狭い店内を慣れた足取りで歩く。

「はい、生4つですね~」

追加の注文を各テーブルが好き勝手に言い出すので、隆は聞き漏らさないよう素早くメモを取りながら承る。

最初にこの居酒屋で仕事を始めたのは35歳のとき。働いていた小さな印刷会社が経営不振だったこともあって、居酒屋チェーンを経営する今の会社に転職した。

とはいえ、端から居酒屋で働きたかったわけではない。転職活動をしていた2005年はまだ就職氷河期と呼ばれていて、思ったような仕事にありつけず、何とか採用してもらえたのがその会社だっただけだ。

しかし望んでいた仕事でなくとも、始めてみればやりがいは見つかるもので、それなりに充実した日々を送っていたように思う。客として当たり前に来ていた居酒屋が大変な仕事をしていると知った隆は面食らいながらも、毎日合戦場に出るような感覚で仕事をしていた。

それに、アルコールが入ることもあって基本的に客は好き勝手しているのでへきえきとすることも多かったが、よく足を運んでくれる客とコミュニケーションをとり、顔なじみになっていくことは自分の性分にもあっていたのだと思う。

「あ、いらっしゃいませ、権堂さん」

「清水さん、こんばんは。カウンターで大丈夫?」

隆は笑顔で権堂を席に案内する。権堂はこの辺りで不動産会社を経営している社長で、新忘年会でもよく店を使ってくれる常連客だった。

「それじゃ、生と枝豆と板わさをちょうだい」

「はい、かしこまりました」

いつもの注文を受けた隆は素早く厨房(ちゅうぼう)へ戻って冷えた瓶ビールとグラスを持って、権堂のもとへと向かった。

「最近、寂しくなってきたね」

ビールを受け取って店内を見渡した権堂が何を言おうとしているのかはすぐに分かった。

「そうですねぇ……」

春先から流行しだした新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、店は休業を余儀なくされた。その後、営業は再開されたものの、閑古鳥が鳴き続け、一度遠のいてしまった客足や活気が戻ることはなかった。

コロナ禍になって巣ごもりという言葉ができ、感染を警戒するなかで誰も店で飲みたがらなくなった。大勢いたアルバイトにも、頭を下げて休んでもらっている状況だった。

「この店もだいぶ厳しいみたいだね……」

「そうですね。もう外食業界全体が厳しいですよ。この先どうなっちゃうのか……。

「そう気落ちしないで。俺はこうやってたまに飲みに来るからさ」

「ありがとうございます。本当に助かりますよ。権堂さんのところはどうなんですか?」

「うちはあんまり影響はないね。巣ごもりとかでむしろ需要が増えたくらいだから」

権堂の腕にはしっかりと高価な時計がはめられている。以前見たものとはまた違うメーカーのものだ。それを見るだけで経営状態が伝わってくる。

「いやぁ、さすがですね。それじゃあ、ごゆっくりしていってください」

バックヤードに戻った隆は年齢もそう変わらないであろう権堂との大きな差を思い知った気がして、小さくため息をついた。