光熱費がとんでもないことに

「なあ、春子、ちょっといい?」

ある日、春子がリビングでムギと一緒に骨のオモチャで遊んでいると、休日で家にいた利也が抑えた声で話しかけてきた。春子は身構えた。こういうときは大抵良くない話であることが多かった。

春子はムギをひとなでして離れ、リビングテーブルに腰掛ける。

「どうかしたの?」

「これ見てくれよ。先月の電気代」

利也から渡された電気料金の明細を春子は確認する。この手の公共料金などは全て利也が管理している。利也の人さし指の先にある金額に、春子は目を丸くした。

「えっ⁉ 何これ⁉」

「先月、4万を超えてるんだぜ。これってかなりの額だよ。なんでこんなに高くなったか、理由考えてみたんだけどさ」

「……ムギだよね?」

利也はばつが悪そうにうなずいた。

「やっぱりリビングのエアコンをずっとつけっぱなしなのが原因だよな。使わない時期は問題ないと思うけど、さすがにこの金額はな……」

「いや、確かにそれは分かるけど……」

「さすがにつけっぱなしは止めよう。払うのがバカみたいだよ」

しかし春子にも言い分はある。

「でもさ、ムギはずっとこの部屋にいるのよ。8月になったら、35度を平気で超えるんだから。蒸し風呂みたいになっちゃうわよ。インスタの愛犬家さんアカウントでも、夏場はつけっぱなしだって言ってるし」

「いや、そうは言ってもちゃんと体温調節できるようになってるって」

春子は首を横に振る。

「ダメよ。かわいそうでしょ?」

「いや、かわいそうだとは思うけどさ……」

「とにかく、エアコンは消さない。ムギになんかあってからじゃ遅いもの」

話はこれで終わり、と春子は思ったが、利也は盛大にため息をついた。

「あのさ、こんなこと言いたくないけど、うちは別に裕福ってわけじゃないんだ。電気代にこんな4万も払えるわけないだろ?」

「じゃあ、この間買った釣り具は何? あんな棒に3万もかけてた人が家計のことを気にしてるって信じられな~い」

「棒じゃない! 竿(さお)だって言ってるだろ! 釣りは俺の唯一の趣味なんだから、好きに使って良いだろ⁉」

利也が大声を出すと、ムギが心配そうに鼻を鳴らしてこちらを見ていた。春子はすぐにムギに駆け寄る。

「ゴメンね、ムギは何も気にしなくていいからね」

「おい、まだ話は終わってないぞ」

「終わってるわよ。エアコンは消さない」

利也はいらついたように頭をかく。

「だからそれだと……!」

そこで春子は近くにあったエアコンのリモコンをつかむ。

「あーそんなに怒ったら、暑くなるでしょ。温度下げるわよ?」

「バカ、ふざけんな! 1度下げると、電気代が高くなるんだぞ!」

「ウルサいわね! それじゃあ、グチグチ細かいこと言ってこないで! ただでさえイライラしてるんだから!」

「お前はいっつもそうやって俺の意見を無視して好きなことをしてるよな! 俺がどれだけお前のワガママに我慢してるか少しは考えてくれよ!」

利也の発言は聞き捨てならなかった。

「私がいつワガママなんて言ったのよ! 何をするにもちゃんとあなたにお伺いを立ててたじゃない!」

「聞いてるだけだ! 俺の意見が通ったことは一度もない! その犬だって、どうせ反対したところで聞きゃあしないって分かってたから受け入れただけだ!」

そう言って、利也はリビングを出て行く。

「どこ行くのよ⁉」

「釣りだよ! こんなところいられるか!」

春子は廊下に向かって叫ぶ。

「お金、お金言ってるんだったらたくさん釣ってきて、ご飯の足しにしてよね⁉」

「俺はバス釣りしかやんないんだよ!」

「こんな夕方から釣りなんてして釣れるもんだって釣れないわよ!」

売り言葉に買い言葉。春子は利也の背中に向けて声を荒らげる、利也は最後まで利くことなく家を出て行った。

●「ムギのため、エアコンは絶対に消すわけにいかない」夫に理解させたきっかけは……? 後編ペットが原因で家庭内別居に…熟年夫婦を襲った“予期しなかった光熱費”の誤算】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。