「ほら、ムギ、大好きな骨だよ~」

春子は骨のようなゴムのオモチャをムギに差し出す。コーギー犬のムギはすぐにゴムにかみつき、春子の手から引っ張り取ろうとする。春子は抵抗をし、綱引き状態になった。

日に日に力強くなっていくムギに成長を感じながら、春子はムギがこの家にいてくれることの幸せを感じていた。

本当にムギを迎え入れて良かった。思えば始まりは、息子の俊介が独り立ちしたところからだった。3カ月前の胸にぽっかりと穴が空いた気持ちは今もしっかりと記憶の中に残っている。

就職のために他県へと引っ越す俊介を駅に送り届けたあと、帰宅した春子は玄関を見て寂しさを感じていた。いるときはうっとうしいなんて思っていたが、いざいなくなってみると、息子がいなくなった家はなんだか広く思えた。

もちろん夫の利也も気持ちは同じだろう。愛する俊介が家を出ていくのに、何も感じないはずがない。そんな喪失感を抱えながらの夫婦生活がこの後続いていくはずだった。