熟年離婚の危機

恵美は専業主婦で、和幸は不動産会社に勤めている。今は繁忙期ではないので、和幸はどうしても定時に帰ってくる。

恵美は何かを振り払うように今の生活を楽しもうと、和幸にとある提案をする。

「ねえ、息子たちもみんな独り立ちしたし、何か2人でやりたいことを見つけようよ」

ソファに寝転ぶ和幸に恵美はそう声をかけた。しかし和幸は何も返事をしない。

「2人とも時間があるんだからさ、趣味でも見つけないと損じゃない? どう?」

「……任すよ」

そっけない和幸の返事に怒りを覚えた。

「そ、そう? 何かやりたいこととかない?」

「ないよ、そんなのは」

「そう。分かった」

恵美はできるだけ冷たく言い放った。

自分たちの関係もいよいよのところまで来ていると実感する。

思えば和幸は昔からそうだったのだ。

能動的に何かをやろうとしたことはなかった。全て恵美が提案したことに乗っかるだけ。つき合うのも、結婚も、家を買うのも全て恵美から発信したことだ。

恵美は苛(いら)つきを隠しながら、リビングを出ようとすると、床に脱ぎっぱなしになっていた靴下を見つける。

「靴下くらい、ちゃんと洗濯カゴに入れてよ。良太だって言ったらやれてたのに」

恵美は嫌みったらしく和幸に伝えた。

「……ああ」

しかし返ってきたのはそれだけ。これじゃ壁に向かって話しているみたいだ。恵美はそう思いながら、丸まった靴下を洗濯カゴに投げ捨てた。

それから恵美の中で和幸に対する気持ちは日を追うごとに冷めていった。

もちろん、それに和幸が気付いた様子はない。

いつも変わらず仕事から帰ってくれば、黙ってダラダラとしているだけだ。

しかしそんな当たり前のことが恵美には腹立たしくてしょうがなかった。横で和幸はいびきを立てて寝ていることすら嫌悪感が走るようになる。

恵美の脳裏に、熟年離婚という言葉がはっきりと浮かんでくるようになった。

思いがけない展開に

そんな生活を過ごしていたあるとき、恵美は学生時代からの友人である仁美とお茶をしていた。

このときばかりはたまっていた和幸への愚痴を仁美にぶちまける。

仁美は5年前に離婚をしていて、現在は自由気ままに暮らしている。

そんな仁美がとてもうらやましく思えた。

「最近ね、ポミが出産をしたのよ」

「ポミ? 何それ?」

「あれ、私が飼っているポメラニアンよ。言ってなかったっけ?」

「いや、聞いてないと思うなぁ」

「そうだったかしら。まあそれでね、そのポミが子供をたくさん産んじゃって困ってるのよ。私1人だとあと1匹くらいなら飼えるけどね、誰か引き取ってくれるような人、知らない?」

仁美に聞かれて、恵美は考えた。

誰もそんな知り合いはいない。

そう言おうと思ったのだが、恵美の口から出てきたのは自分でも信じられない言葉だった。

「私がもらおうか?」

恵美がそう言うと、仁美はとても喜びすぐに引き渡しの段取りに入る。

その話を聞きながらも、恵美はどうしてそんなことを言ったのか戸惑っていた。

●犬を飼うことで、和幸との関係は変わっていくのだろうか? 後編しつけの大変さに後悔…“熟年離婚”危機の夫婦のもとへ来た犬がもたらした「思いもよらないこと」にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。