最初に親しくなったのは、隣室に住んでいた中国系の資産家のご夫婦だ。ご主人は中国企業の投資資金を動かすトレーダーだった。香港の航空会社でキャビンアテンダントをしていた奥様とは同業者同士でウマが合い、マンション内外のイベントやパーティーに連れて行ってもらった。妊娠中でアルコールが飲めないのはつらかったが、JAL時代からパリピだった私には天国のような日々だった。
ご夫婦との交流を通して、タワーマンションの所有形態や階層にまつわる上下関係の存在も知った。賃貸組の私たち夫婦が地権者やオーナーと接する機会はそう多くないが、言葉を交わす際に差別意識を隠そうともしない高層階のオーナーもいた。「我們想住頂楼(最上階に住みたいんだ)」と話していた隣室のご夫婦は、半年後、近くに売り出されたタワマンの高層階の部屋を購入し越していった。
ちょうどその頃、近くの大学病院で莉子を出産した。退院後は初産の私を気遣った実家の母が泊まり込みで手伝いに来てくれた。
母は還暦をとうに超えた今まで、地元の埼玉以外で暮らしたことがない。最初は部屋からの眺望に「東京スカイツリーの展望台みたい」と感動したり、ラウンジやジムをのぞきに行ったりしていたが、10日もすると「地に足がついていないみたいで落ち着かない」とそわそわするようになり、私の体調が戻ったのを確認すると早々に引き上げた。
世間知らずで田舎者の母にはタワーマンションの素晴らしさが理解できないのだろうと思った。私自身はこの特別な生活環境に魅入られていた。そして、現状を維持するためには私や莉子がこの場にふさわしい存在であらねばならないと必死だったのだ。
●いよいよ幼稚園受験本番。必死に準備した結果とは? 後編【「この子はこんなふうに笑うんだった」お受験ママが“タワマン脱出”を決めた理由】で詳説します。
※この連載はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。