母を追い詰めた父の言動

その翌朝、春日さんは両親の揉める声で起こされる。両親のリビングがある2階へ行くと、母親が泣いていた。

なんでも、朝6時に起きた父親が日課である洗い物と掃き掃除をしたあと、痛みで眠れず、布団の中でうずくまる母親の耳元で、何度も何度も何度も「朝ごはんどうする?」と聞いた。母親は鎮痛剤を飲むために、何かお腹に入れた方が良いと考え、近所のおむすび屋の名前と、買ってきてほしいものをメモして父親に渡したが、父親が買ってきたのはコンビニのサンドイッチとポテトサラダ。いずれも父親の大好物だった。

「この頃の父は買い物はできても、〇〇というお店で☓☓を買ってきて、という頼まれごとはできなくなっていました。口頭で伝えても玄関を出るまでに忘れ、メモを書いてもポケットにしまった後、メモの存在を忘れてしまいました」

母親は早く鎮痛剤を飲みたくて近くのおむすび屋を指定したのに、倍以上の時間をかけて買って来られたのは父親自身の好物であったことに、悲しさと怒りとやるせなさがあふれたのだ。

その後、母親に2泊3日の血液検査入院が決まったときも、父親は毎日のように「病院へ行ってくる」と言い、春日さんが「コロナだから面会できないよ!」と止めても、「分からないじゃないか!」と言って聞かない。結局病院の受付で断られて帰ってくるということを、3日で15回繰り返した。

春日さんは、生まれたばかりの娘の世話だけでも精いっぱいなのに、認知症の父親の相手まで手が回らない。夫婦で話し合い、夫が会社に相談したところ、特別にテレワーク勤務を認められ、家族の食事作りや夕方以降の父親の相手を夫が担当してくれることになった。

●検査結果を待つ間、春日さんの母親は愛娘を思って“終活”を始めていた。後編【「すべての財産を娘に…」終活で“相続争いの泥沼化”を防いだ母の機転】で詳説します。