天ぷらとそばで過ごす年末

大晦日の夕方、裕美は、湯気の立つ鍋からそばをすくい上げながら、時計が7時に近いことを確かめた。仕事納めも大掃除も終わり、部屋は整っている。

「よし、完璧」

ちょうどインターホンが鳴った。

エプロンで手を拭いて玄関へ向かい、ドアを開けると、鈴木さんが立っていた。マフラーを巻き、片手に紙袋、もう片方の手には小さな杖。顔色は前よりよくなっているが、動きはまだ慎重だ。

「突然ごめんなさいね。天ぷら、揚げすぎちゃって。1人じゃ食べきれないから、よかったら……」

紙袋を覗くと、透明の容器の中に海老やかき揚げがきれいに並んでいる。油とだしの匂いが、ふわりと立ちのぼった。

「わあ……おいしそうです。よかったら、うちのそばと一緒にいかがですか? ちょうど今、茹でていたところで」

鈴木さんは目を丸くし、それから小さく笑った。

「そんなつもりじゃなかったんだけど……お邪魔しようかしら」

リビングのテーブルに、2人分のどんぶりと、皿に盛った天ぷらを並べる。テレビでは紅白の音楽が流れているが、ボリュームは小さい。

「ご家族とは、一緒に過ごされないんですか」

湯気の向こうから、裕美がたずねると、鈴木さんは首を横に振った。

「子どもはいないのよ。夫もね、だいぶ前に先立たれて。だから、ずっと1人。裕美ちゃんは?」

「私も、1人です。実家は地方なんですけど、帰ると仕事の調整がややこしくて。結局、毎年こんな感じで」

そう言いながら、裕美は自分のどんぶりを見下ろした。そばの上で、刻みねぎと湯気が揺れている。

箸を動かしながら、他愛もない話が続いた。仕事のことや最近見た番組、このあたりのスーパーの安売り情報。特別に盛り上がるわけではないが、沈黙もそれほど気にならない。

やがて、遠くから除夜の鐘の音が届き始めた。テレビの画面では、カウントダウンのテロップが点滅している。

「108つも、ようつくわねえ」

鈴木さんが笑いながら言う。

「人の煩悩、多いですよね」

裕美も笑い返しながら、頭の中で仕事とお金と精神の健康を並べてみる。新しい年を告げる数字が画面に現れたとき、2人はほぼ同時にどんぶりを置いた。

「昨年は、お世話になりました」

裕美が言うと、鈴木さんは首を振った。

「こちらこそ。助けてもらったのは、私だもの。今年は……もう少し、心に余裕を持つ練習をするわ」

「ふふ、じゃあ私は、もう少し、人に頼る練習をします」

裕美がそう言って笑うと、湯気の向こうで鈴木さんもわずかに口元をほころばせた。テレビの画面には新しい年のテロップが流れ、窓の外では遠くの除夜の鐘がまだ鳴り続けている。片づいたリビングのまんなかで、2つのどんぶりから立ちのぼる白い湯気だけが、ゆっくりと天井へ昇っていった。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。