再生するしじま湯
「クーポン、これでいいんですか?」
常連の若者が、湯上がりの髪のまま笑った。
園子はうなずいた。
「はい、それ見せたらコーヒーが50円引きになります」
しじま湯は近隣のカフェとのあいだでチラシを交換した。カフェ側のカウンター横には「お風呂帰りにどうぞ」と書かれたPOPが並ぶ。銭湯の壁には園子が手描きしたアヒルと湯気のイラスト入りのPOPが貼られた。
「ご入浴レシートでミルクコーヒーお得に」
ほかにも始めた取り組みがある。
商店会の朝市に合わせて、オープン時間を朝の7時にして朝風呂を始めた。
脱衣所の隅には簡易な古本棚を置き、近くの古書店から無償で譲ってもらった本を並べた。
「おはようございます!」
朝9時前、ランニング帰りの青年がタオルを首にぶら下げて入ってくる。
「いらっしゃい」
「銭湯って、ランステにもなるんすね」
「ランステ?」
「ランニングステーション。ランニングの拠点になる場所のことっす」
「へー、勉強になる」
園子は笑いながら答えた。
夕方は高齢の常連がいつものようにやってきて、「少し賑やかになったな」とぽつりと言った。
廊下にいくつもの足音が重なる。脱衣所からは時折嬉しい声が届いた。
「この絵、いいよね」
番台で園子はノートを開き、次のポスターのラフを描いていた。
すると、客のひとりが通りすがりに言った。
「これ、全部お姉さんが描いてるんですか?」
園子は笑ってうなずいた。
「はい、そうです。浴場の富士山も私が描いてるんです」
「へー、すっげー。プロみたい」
「ありがとうございます」
閉店後、床を拭き、鍵をまとめ、戸を閉める。
その1つひとつの動きが、前よりも軽く感じられた。夜の空気が少し涼しくなっていた。
