やっと平穏な日々が戻ってきた

「やっぱり、売ってよかったのかな」

優典が運転する車の助手席で、夏海は笑った。

「そりゃそうでしょ。結局テント何個持ってたんだっけ?」

「7……いや、8かも」

「やっぱり買いすぎだってば」

優典は小さく苦笑いを浮かべながら、フロントガラス越しに伸びる緑のトンネルを見つめた。彼が手放したキャンプ用品は、軽く数十点にのぼる。最新モデルの焚火台、超軽量のチェア、何種類ものクッカーに、ほとんど使われなかったタープ。それらをまとめてネットで売っただけでも、リビングに広がっていたアウトドア用品の海はずいぶんと片付いた。

「ちょっと寂しくもあるけど、なんかすっきりしたよ」

助手席の窓を開け、風を感じながら優典がぽつりと言った。

「大事なのは、道具じゃなくて、この時間だって気づいた。夏海と、こうして並んでることが何より俺の支えなんだって」

「ふふん、もっと褒めてもいいんだよ」

今回のキャンプ地は、少し標高の高い湖畔。1泊2日のちょっとした旅だ。
荷物が少ない分、設営もあっという間に終わった。

「うわ、なんか原点回帰って感じだね」

「最初のころって、これぐらいだったよね。むしろ、もっと少なかったかも」

焚火を囲みながら、夏海たちは懐かしむように笑い合った。木々の間から差し込む夕日が、焚火の炎と混ざって、オレンジ色のグラデーションを作っていた。パチパチと薪のはぜる音が、静かに耳に心地よかった。

「……バランスって、難しいな」

炎を見つめながら、優典がぽつりと呟いた。

「前は仕事でいっぱいいっぱいになって、何も見えなくなって。今度はキャンプに逃げて、また周りが見えなくなって」

「うん。でも、ちゃんと気づいたじゃない」

夏海はそっとマグカップを差し出した。彼の好きなホットココアが入っている。

「気づいて、戻ってこられるって、すごいことだと思う」

「夏海がいてくれたからだよ」

そう言って笑う彼の表情には、以前のような張り詰めた様子はない。

「俺、たぶん、またどこかで同じようにバランスを崩すと思う」

「うん、そうかもね」

「え、否定してよそこは」

「でもね、そしたらまた一緒に立て直せばいいだけじゃない?」

優典は目を見開き、そして笑った。

「ほんと、夏海ってさ……男前だよね」

「なんとでも言って。だけど、今度はもう1人で抱えないこと。もっと肩の力抜いていいんだよ。人に頼っても、ちゃんと前に進めるって知ったでしょ?」

「……うん、知った。ほんとに」

焚火の炎が小さく揺れた。夜のキャンプ場は静かで、どこか安心感がある。

「これからも、よろしく」

「こちらこそ」

2人分のシェラカップが、カチンと小さく音を立てた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません