唯一のはけ口は夫だが…
「ちょっと芽衣子さん、何その切り方? みそ汁のにんじんは、普通短冊切りでしょうが。なんでそんなコマ切れにしちゃうのよ」
夕食の支度を任された芽衣子が台所で料理をしていると、すぐ背後から澄子の声がした。
「ああ。これは、息子が食べやすいようにと思って……」
芽衣子は包丁を握る手を止めて、義母を振り返る。野菜が苦手な息子のために、いつも根菜類は細かくさいの目切りにする。5年の子育ての末に見つけた料理の仕方だった。
「甘やかしすぎよ。来年は小学校に上がるんだから、野菜くらい食べられるようにならないと。とにかくそんなみすぼらしく切った野菜は入れないでちょうだい。うちのみそ汁はね、大根とにんじんは短冊、じゃがいもやなすは乱切りよ。分かった?」
澄子は吐き捨てるように言って、芽衣子の返事を待たずに台所から出て行った。
澄子がこうして目くじらを立ててくるのは、野菜の切り方だけではない。義実家には野菜の切り方から掃除の手順まで、澄子が定めた事細かなルールがあった。
郷に入っては郷に従え、とは言うが、こうして頭ごなしに否定され続けるたびに、芽衣子はこれまで自分がやってきたことが全て無駄で間違っていたと言われているような気持ちになる。唯一のはけ口は、正志だったが、それも引っ越し前に期待していたほどあてにはならなかった。
「ねえ、何なの? さっきのお義母(かあ)さんの態度。まるで私たちの子育てが間違ってるみたいな言い方してさ」
正志は少しうろたえたように目をそらす。その態度がまた、芽衣子をいら立たせることは分かっていたが、こうして少しでも発散しなければやってられないのも事実だった。
「いや……芽衣子はそう感じるのかもしれないけど、あの人なりにアドバイスしてるだけだと思うよ」
「本当にそう思う? 私にはただ、いちいち文句をつけられてるとしか思えないんだけど」
「芽衣子、おふくろたちとはこれから一緒に暮らしていくんだから、多少のことは目をつぶってくれ。家族なんだからさ……」
「目をつぶるって簡単に言うけど、私にはそれが本当に苦しいの。私は自分で選んだ仕事が好きだったし、東京での生活も充実してた。それでもここへ来たのは、正志が私の味方になるって約束してくれたからなんだよ」
「それを言うなら、俺と結婚するって決めたときから、いずれこうなることは分かってただろ。仕事の話なんて持ち出すなよ。もういまさらどうしようもないんだから」
芽衣子の言葉には、今まで募っていた不満と失望が込められていたが、正志はただ困ったように頭をかくだけ。芽衣子は言い返す気力もそがれ、ただじっと頼りない夫を見つめるだけだった。
●前途多難な芽衣子の義実家生活。だが、思いもよらないことから義母の真意を知ることになる――。後編【「本当に不出来な嫁だよ」から一転…農家に嫁いだ女性に認知症の義母が語った「15年目の雪解け」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。