朝の陽光が差し込む大理石のキッチンには、昌子が朝食の支度をする音が響いていた。
フライパンに流し込んだ卵がじゅうじゅうと音を立てたかと思うと、あっという間にふわりとしたスクランブルエッグが仕上がった。それをこんがりと焼けたトーストとベーコンの隣に盛り付け、サラダにドレッシングをかければ、いつもの朝食プレートの完成だ。
エプロンを外しながらリビングの様子をうかがうと、夫の明がお気に入りのアンティークソファで新聞を読んでいた。
「明さーん、ご飯できたから子供たち呼んでくれない?」
「ああ、もうそんな時間か……」
明は新聞を畳んでゆっくり立ち上がると、内線電話を手に取った。最初は慣れない光景だったが、この広い家も、高そうな家具も、徐々に慣れてきた光景だ。子供たちの部屋は3階にあるため、1階のリビングから彼らを呼ぶ際は内線を使うのがすっかり定着化していた。
「おはよう。もう朝御飯だから……うん、お兄ちゃんにも声かけてきて」
短い通話を終えた明が大きなダイニングテーブルに着くと、間もなく元気な足音とともに娘の佳織が3階の子ども部屋からリビングに下りてきて、トーストにかぶりつく。
「こら佳織、いただきますは?」
「はーい。いただきまーす!」
慌ててパチンと手を合わせた佳織に、昌子は思わず明と顔を見合わせて笑った。おてんばで手を焼かされるが、娘の存在が家庭の雰囲気を明るくしてくれているのは事実だ。特に中学生の息子・良太との関係に悩むようになってからは、佳織に助けられることが多い。
「佳織、お兄ちゃんは……?」
「今日は朝ご飯いらないって」
佳織の返答を聞いて、昌子は自分の心が薄く曇るのを感じた。良太は昌子の実子ではなく明の継子なのだ。対して佳織は昌子の継子。明と昌子はお互いにバツイチだった。
再婚後、娘はすぐに明を「パパ」、良太を「お兄ちゃん」と呼び始め、2人に懐(なつ)いてくれたが、良太は継母の昌子に対してどこまでも他人行儀で冷たい。年齢も性別も異なる佳織と比べるのは違うと分かってはいるが、どうしても良太とは心の距離を感じてしまう。昌子が用意した朝食を食べることはめったになく、昼は購買のパンで済ませ、友達と外食するからと、自宅での夕食を断ることもあった。明は「いつも十分な金額を渡しているから大丈夫だろう」と言うが、母親としては、本当にきちんと食べているのか心配だった。
「ごちそうさま。そろそろ行くよ」
昌子があれこれ考えているうちに、朝食を済ませていた明がおもむろに立ち上がった。
「いってらっしゃい!」
「ああ、行ってきます。学校、遅れないようにな」
顔をほころばせながら佳織の頭に優しく手を置いた明は、保険代理店の社長をしている。昌子はその会社で経理として働いていたときに明と知り合った。
最初は、ただの社員と上司という関係に過ぎなかったが、お互いバツイチ子持ちであることを知ってから、徐々に親密な関係になっていったのだ。離婚後の子育ての苦労について共感することが多く、昌子は自分でも驚くほど、明に心を開いていった。
「俺たち、一緒にならないか?」
明からそう言われたとき、昌子に迷いはなかった。交際0日で2人は結婚を決めた。
結婚後、シングルマザーだった昌子の生活は大きく変わった。明の会社を辞めて近所で事務のパートをすることになり、家にいる時間も大幅に増えた。
だからこそ母親として気になるのはやはり良太のこと。明はただの反抗期だと言うが、本当にそれだけなのだろうかとも思う。朝食の片づけをしながら考えていると、良太がだるそうにリビングに降りてくるのが見えた。
「あっ、良太くんおはよう。朝御飯、スープだけでも飲んで行ったら? 何かおなかに入れないと昼まで持たないわよ」
「……いらない」
目も合わさずにつぶやいた良太に、昌子は勇気を出してもう一度声をかけた。
「……お弁当、本当に作らなくていいの? 毎日購買だと飽きるんじゃない?」
「別に……コンビニにも弁当売ってるし。それより、父さんに小遣い10万追加してって伝えて。ゲームの新作買いたいから絶対木曜までによろしく」
そう一方的に告げると、良太は学校へ行ってしまった。ようやく会話ができたと思ったら、それは明への伝言で、しかも小遣いが欲しいという内容。バタンと音を立てて閉まったドアを見つめながら、昌子は静かにため息を吐くのだった。