足腰が立たないと言う義母

長距離移動でくたくたの息子を早めに寝かしつけた後、芽衣子は割り当てられた離れの寝室でひと息ついていた。母屋だと気を遣うだろうと割り当てられた離れだったが、隙間風がひどく、厄介者を家の外に追い払おうとする魂胆は見え見えだった。

「どうしてこんなとこに来ちゃったんだろうね」

芽衣子はつぶやき、息子の頭をなでる。

健やかに眠っている5歳の息子は、保育園や習い事の友達と離れたくないと、今回の引っ越しを泣いて嫌がった。特に仲良しの友達と同じ小学校へ行けないと知ったときの息子の暴れっぷりときたら、しばらく手が付けられないほどだった。

あのときからは想像もつかない穏やかな寝顔を眺めながら、芽衣子が無意識にため息を漏らしていると、正志が隣に腰を下ろしてきた。

「どうだ、思ったより平屋もいいだろう?」

正志は何気ない口調で言ったが、芽衣子はその軽い言葉にいら立ちを覚えた。

「建物の問題じゃないよ。農家の嫁って言ったって、私にできることなんてまだ何もないし。お義母(かあ)さんとうまくやっていける自信だってないし」

すると、正志は困ったような顔をして黙り込み、そして、ゆっくりと口を開いた。

「芽衣子、少しずつでも慣れていくしかないんだよ。俺たちは家を継ぐためにここに来たんだ」

「それは分かってる。でも、この子があんなに嫌がってたのを無理やり連れてきて……私だって大好きな仕事を辞めてさ……」

結婚から5年、ようやく自分たちらしい生活を築き上げてきた東京を離れることに、芽衣子は当然気が進まなかった。何よりやりがいを感じ、産休や育休から明けても懸命に働いていた会社を辞めなければならないことは、芽衣子の気分に大きな影を落としていた。

一般的に米農家の平均年収は、340万程度と言われている。これは、30代後半の芽衣子の給料と比べても低かった。義実家の収入を芽衣子が知る由もなかったが、この平均から大きく外れることはないのだろう。収入で仕事の良しあしを比べるつもりはなかったが、この移住によって芽衣子が犠牲にしたものはあまりに大きかった。

「少しずつ慣れていこうよ。な? 仕方ないだろう。おふくろがああなったんだから」

正志は気休めにもならない正論を並べるだけだった。芽衣子はもう何度目になるか分からないため息を吐く。返事を濁し続けていた義実家への引っ越しを決定づけたのは、澄子が事故に遭ったからだった。

数カ月前、雨上がりの土手で足を滑らせ、足腰が立たなくなってしまったと、澄子から連絡があった。

広大な田んぼの面倒を義父1人でまかなうことは難しく、芽衣子たちはずっとうやむやにしていた農家を継ぐ話を受け入れざるを得なくなった。

だが見ての通り、けがの治った澄子はこれまで通りに農作業にいそしみ、一家を支える屋台骨として小言をまき散らしながら元気に振る舞っている。

「分かってるよ」

芽衣子はもう一度ため息を吐きながら、傍らで眠る息子の頭をなでた。